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世界文学の流れをざっくりとつかむ21 [世界文学の流れをざっくりとつかむ]

≪第六章≫ ルネサンス期から十七世紀の文学

 1 イタリアルネサンス文学

 古代ローマ帝国が古い神々を捨てて、キリスト教を国教としたことが、法王がヨーロッパの支配者となる道を開きました。中世において、法王は神の代理人であり、法王の言葉は神の声でした。1077年に神聖ローマ皇帝が破門された事件(カノッサの屈辱)は、法王に不動の真理があることを象徴し、1096年から始まった十字軍の遠征は、法王の権威をさらに増しました。

 キリスト教の教えに従わなければ地獄に落ちるとされ、自由に考えようとすれば異端とされ、ひどい場合は火あぶりの刑に処せられました。このような環境では文学は育ちません。のちにこの時代を振り返って、暗黒時代と呼んだのは、人間性がキリスト教によって抑え込まれていたからです。

 こういう時代において、古代ギリシアとローマの古典は異端の学問とされ、僧院などで厳重に封印されていました。この封印を解いたのが、皮肉にも遠征から帰った十字軍でした。彼らは、イスラム帝国で保存されていたギリシアやローマの古典を持ち帰ったのです。また、混乱を避けてビザンティン帝国から亡命してきた学者たちにも注目が集まりました。ラテン語とギリシア語に対する関心が高まり、人文主義が広がって古典研究が流行し、12世紀ルネサンスと言われる時代を現出しました。

 十字軍の遠征の影響で、東方貿易が始まると、その拠点となった北イタリアのヴェネツィアやジェノヴァやフィレンツェなどの地方都市が繁栄しました。特にフィレンツェでは銀行家のメディチ家が台頭し、ローマ教皇庁とつながることで急成長しました。しだいに都市に人口が集中するようになり、キリスト教の旧習にとらわれない人々が出てきました。「古代復興」「人間性の回復」を意味するルネサンスは、このような人々を担い手としたのです。

 ルネサンスは文芸の分野でいちはやく始まりました。その先駆者が、イタリア最大の詩人ダンテです。ダンテはフィレンツェの人で、ヴェルギリウスやホラティウスなどのラテン文学の古典を学びました。1293年頃にまとめられた「新生」は、永遠の女性ベアトリーチェの死に捧げた詩集です。そこには、血の通った人間らしい感情が表現され、新しい時代を予感させるものがありました。

 ダンテはのちに政争に巻き込まれ、流浪の身となってから、1320年頃に「神曲」を完成しました。イタリア文学最大の古典である「神曲」の内容は、キリスト教の世界観そのものです。しかしその案内役を、キリスト教以前のローマ詩人ヴェルギリウスが務めています。さらに重要な点は、この一大叙事詩を「新生」同様、当時としては珍しく、ラテン語ではなく民衆が日常的に使っているトスカナ語で、生き生きと表現している点です。こういった点から、「神曲」はルネサンス文学の先駆と言われています。

 ペトラルカもフィレンツェの詩人です。彼は、修道院に保管されていた古代の資料を研究した人文学者で、古典時代こそが人間を肯定した理想の時代だったという認識を持っていました。1374年の死まで「カンツォニエーレ」(歌の本)を作り続けましたが、これは人妻のラウラに捧げた抒情詩集です。

 ボッカチオもフィレンツェの詩人で、ペトラルカの友人でした。また、ダンテの讃美者でした。1349年から1351年にかけて作られた「デカメロン」(十日物語)は、ペストから逃れた10人が退屈しのぎに10は話ずつ話をするという趣向の枠物語です。全100話の多くは民衆の生き生きとした艶笑譚で、カトリックを批判した話も多いです。ダンテの「神曲」に対して、「人曲」とも呼ばれています。近代小説の先駆であり、イギリスのチョーサーにも影響を与えました。

 この頃、ローマの遺跡が出土し、古代建築が再評価され、ローマ建築の研究が盛んになりました。1420年から、ブルネレスキが、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドームを建築し始めました。1500年代に入ると、ボッティチェリ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロらが、絵画・彫刻・建築など様々な分野で豊かな才能を発揮し、イタリアルネサンス芸術は最盛期を迎えました。

 1532年、マキャベリの没後に「君主論」が刊行されました。彼は前年、ローマの歴史研究「リウィウス論」を書いていました。1575年、タッソの「解放されたエルサレム」が成立したのが、イタリアルネサンスの最後の輝きでした。このころからカトリック教会による、対抗宗教改革の大きな波が襲い、自由な気風が抑え込まれて、イタリアにおけるルネサンスは終焉に向かいました。そして、ルネサンス運動の中心は、フランスなどアルプスの北側の国々に移っていきました。

 次回は、フランスルネサンス文学について書いていきたいと思います。

 さいごに。(再び休校)

 娘の小学校は、4月7日、約1か月ぶりに休校が解除されました。
 しかし登校したのは4日だけ。11日から再び休校となり、今日も家にいます。

 私は安心しています。登校すれば、不特定多数との接触は避けられないので。
 今はいろいろと大変ですが、非常時ですから、がんばるしかありませんね。


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