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世界文学の流れをざっくりとつかむ25 [世界文学の流れをざっくりとつかむ]

≪第六章≫ ルネサンス期から十七世紀の文学

 5 イギリス・ピューリタン文学

 イギリスの黄金期を築いたエリザベス女王は、1603年に死去しました。その後即位したスコットランドのジェームズ1世は、王権神授説を唱えて、国教会をバックに専制政治を行いました。それに反対したピューリタンを、ジェームズ1世は容赦なく弾圧しました。1620年には、102名のピューリタンが、弾圧を逃れてメイフラワー号でアメリカへ移住しました。

 ジェームズ1世の死後、息子のチャールズ1世も専制政治を継承し、議会を無視し続けました。1628年に議会から「権利の請願」が出されたため、王は議会を解散させ、王党派と議会派の対立が激化しました。議会派の中心は都市部の商工業者であり、その多くはピューリタンでした。1642年、ピューリタン革命が起こり、1649年には、チャールズ1世が処刑されました。クロムウェルは厳格な独裁政治を始め、娯楽を禁止し、劇場を閉鎖したため、演劇は衰退しました。

 ミルトンは、クロムウェルのもとでラテン語書記をしていました。革命を擁護する文章などを書いていましたが、過労により失明してしまいました。1660年の王政復古後は不遇の中、詩作に専念し、「失楽園」を口上筆記しました。旧約聖書の創世記を題材に、堕天使の逆襲と人間の楽園追放を描いた長編叙事詩で、キリスト教の根本にあるアダムとイブの原罪をテーマにしています。1967年に刊行され、発禁処分となりますが、現在ではピューリタン文学の最高傑作とされています。

 1688年、名誉革命が起こり、王が追放されウィリアム3世が即位しました。「権利の章典」が出され、議会政治が行われるようになり、国教会が確立しました。こののち、王からの経済干渉が無くなったため、18世紀に産業革命が始まります。また、仕事に励み、現世での成功を目指すというピューリタンの特質も、産業革命をもたらす要因となりました。

 ジョン・バニヤンは、陽気で人気のある伝道師でした。1678年に、「天路歴程」の正篇が出されました。クリスチャンという名の男が、様々な苦難の果てに、天の都にたどりつくまでの旅の記録です。人が理想的なキリスト教徒になるための過程を寓意した物語です。アメリカ移住者のプロテスタントの間では、最も広く読まれた宗教書です。

 二つの革命があった17世紀のイギリスは、社会が混乱状態にあって、芸術活動は停滞しました。しかし、いちはやく市民革命を体験したイギリスでは、次の世紀に他国に先立って市民中心の芸術活動が始まったのです。

 次回はフランスの古典主義文学について述べたいと思います。

 さいごに。(31に行きたい理由)

 娘と一緒に31アイスに行きました。娘には、31に行きたい理由があったのです。
 それは、山田涼介がプロデュースしたポッピング・ドリームを食べたいというもの。

 ところが、それは期間限定のフレーバーで、すでに販売が終わっていました。
 どうやら、コロナの自粛でお店が閉まっていた頃に、それは出ていたらしい・・・

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