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失われた時を求めて5 [20世紀フランス文学]

 「抄訳版 失われた時を求めて」 プルースト作 鈴木道彦編訳 (集英社文庫)


 自分の中に埋もれている「失われた時」を掘りおこし、紡ぎ直した人生の物語です。
 この「抄訳版」は、長大な小説を四分の一ほどに縮約し、三巻でまとめています。


抄訳版 失われた時を求めて 文庫版 全3巻完結セット (集英社文庫)

抄訳版 失われた時を求めて 文庫版 全3巻完結セット (集英社文庫)

  • 作者: マルセル・プルースト
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2012/02/01
  • メディア: 文庫



 第七篇「見出された時」には、ゲルマント邸の敷石に躓く有名な場面があります。
 この場面から、物語はいっきに、本質的な部分に迫っていくような気がしました。

 「けれども、ときとしていっさいが失われたと思われるような瞬間に、私たちを救う
 ことのできる知らせが訪れる。ありとあらゆるドアを叩いてみても、それはどこへも
 通じておらず、入ることのできるたった一つのドアは、百年のあいだ探しても見つか
 らないだろうと思われたのに、それと知らずにたまたまそのドアにぶつかり、それが
 不意に開くのだ。」(下巻P339)

 自動車を避けようとして中庭の敷石で躓いたとき、不意に幸福感に満たされました。
 それは、かつてヴェネツィアのサン・マルコ寺院で体験したものと同じでした。

 何年も前のヴェネツィアでの体験が、まるで現在の瞬間のように感じられたのです。
 これはいったいどういうことか? ここから「私」の哲学的な考察が始まります。

 過去に感じたことを現在にも感じている。自分がいるのは、過去なのか現在なのか?
 「私」は超時間的なもののなかで、味わっているって?

 「実を言うと、そのとき私のなかでこの印象を味わっていた存在は、その印象の持っ
 ている昔と今とに共通のもの、超時間的なもののなかでこれを味わっていたのであり、
 その存在が出現するのは、現在と過去のあいだにあるあのいろいろな同一性の一つに
 よって、その存在が生きることのできる唯一の環境、物の本質を享受できる唯一の場、
 すなわち時間の外に出たときでしかないのだった。」(下巻P349)・・・

 ここだけ読むと、「何のこっちゃ?」という感じです。
 「この印象を味わっていた存在」と「その存在」を、「魂」に読み替えると・・・

 「魂が時空を超えて、過去と現在を同時に味わっている」
 そういうことを、言いたかったのではないでしょうか。

 プルーストは敷石体験から、時空を超えた「魂」の存在を確信したのではないか?
 だからあとの部分に、「死が怖くなくなった」みたいなことが書いてあるのでは?

 そう考えると、プルーストが記憶の呼び覚まされるままに書いた理由も分かります。
 彼は、「魂」が時空を超えてたゆたう様子を、記述するつもりだったのではないか。

 「失われた時を求めて」という作品のイメージが、だんだん変わってきました。
 今度は完訳を読んでみようか。そんな血迷ったことさえ考えてしまいました。

 それにしても、最後の敷石体験まで、どれだけの人がたどり着けるのでしょうか。
 私は「抄訳版」でさえ、なんとかこぎつけた、という感じでした。

 ところで、訳者の解説は、短いながら中身が濃くて、興味深かったです。
 訳者が集英社新書から出している「プルーストを読む」も、読んでみたいです。


プルーストを読む ―『失われた時を求めて』の世界 (集英社新書)

プルーストを読む ―『失われた時を求めて』の世界 (集英社新書)

  • 作者: 鈴木 道彦
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2002/12/17
  • メディア: 新書



 さいごに。(アンリシャルパンティエ)

 「失われた時を求めて」を読み始めてから、マドレーヌが食べたくて仕方がなかった。
 特に、コミックで描かれているマドレーヌ体験の場面は、とてもおいしそうでした。

 先日デパ地下に立ち寄ったとき、アンリシャルパンティエのマドレーヌを買いました。
 ここのマドレーヌは、本当においしいですね。緑茶に浸してもおいしかったです。





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