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マシアス・ギリの失脚2 [日本の現代文学]

 「マシアス・ギリの失脚」 池澤夏樹 (新潮文庫)


 南洋の小国ナビダード民主共和国大統領、マシアス・ギリが失脚するまでの物語です。
 新潮文庫で600ページ以上ありますが、時間を忘れてのめり込んでしまう作品です。


マシアス・ギリの失脚 (新潮文庫)

マシアス・ギリの失脚 (新潮文庫)

  • 作者: 夏樹, 池澤
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1996/05/29
  • メディア: 文庫



 マシアス・ギリが娼館で眠っている間に、エメリアナはあるものを探して・・・
 その封筒の中には、大統領がこれまで隠し続けていた、驚くべき秘密が・・・

 マシアス・ギリは、なぜ第三代大統領を・・・?
 そして、マシアス・ギリが失脚させられた本当の理由は?

 最後にマシアス・ギリは、いかにして自分自身に決着をつけたか?
 おそらく彼の孤独を救ったと思われる、エメリアナの最後の一言は?

 後半に入って、マシアス・ギリの物語は、いよいよ失脚に向かって動き始めます。
 自分を守るために置いたエメリアナが、まさか、そのような目的を持っていたとは!

 エメリアナは、メルチョール島の巫女。大統領も、メルチョール島の出身。
 そしてナビダード国は、メルチョール島の人々の霊力によって支えられています。

 「現実という舞台装置の背後には、それらすべてを動かしている演出家や道具方や
 機械仕掛けが隠されているのではないか。自分の手足には見えない糸がついていて、
 上の方でそれを操っている者がいるのではないか。」(P241)

 マシアス・ギリのこの言葉が、とてもイミシンだったことに、あとから気付きます。
 そして大統領に同情してしまう。この点が、他の独裁者小説との決定的な違いです。

 たとえば「大統領閣下」は、恐怖政治を描くことで、独裁制を批判していました。
 また「族長の秋」は、大統領の孤独を描くことで、独裁制を批判していました。

 ところが「マシアス・ギリの失脚」には、独裁制に対する批判が感じられません。
 この作品は、独裁者マシアス・ギリの孤独な心を、とことん純粋に描いています。

 この小説には日本的な味付けがあります。
 しみじみとした日本的な抒情があります。

 「この世界にあって個人の意志は何も決められない。すべては大きな流れの中に
 あり、われわれはそこに浮いている。」(P588)

 マシアス・ギリのこの思いの中に、作者の言いたかったことがあると思います。
 改めて、ラテン・アメリカの独裁者小説と、根本的に違うことに気づかされます。

 さて、最後にケッチとヨールが気になることを言っています。
 マシアス・ギリの物語は、彼らの創造の産物なのか、とも取れる言葉です。

 「一つの世界を想像して、想像することで創造していたのかもしれない。」
 「その実在性の大半はぼくたちが飲んで喋って作ったものだ」(ともにP618)

 ところで、失踪していたバスは、なぜかひょっこり現れました。
 「バスリポート」は、結局何の意味も無かったような気がしています。

 バスの代わりに、メルチョールの長老と大巫女たちのリポートがほしかったです。
 ナビダード国を支えている霊的なシステムを、もう少し描いてほしかったです。

 さいごに。(マスクは繁華街にあり?)

 しばらく前、「マスクは田舎の薬局へ行くとある」と言われていました。
 最近、「マスクは繁華街の薬局へ行くとある」と言われています。

 百貨店が次々と臨時休業に追いやられ、繁華街から人々の姿が消えました。
 だから、繁華街の薬局が、今ではマスク調達の穴場となっています。

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