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世界文学の流れをざっくりとつかむ24 [世界文学の流れをざっくりとつかむ]

≪第六章≫ ルネサンス期から十七世紀の文学

 4 イギリスルネサンス文学

 14世紀の後半にチョーサーは、外交上の任務でしばしばイタリアやフランスを訪れ、当時の先進文化に触れていました。イタリアでは、ペトラルカやボッカチオと交流しました。特にボッカチオの「デカメロン」から大きな影響を受けて、晩年の1391年頃「カンタベリー物語」を書きました。宿に集まった30人ほどの巡礼者が、カンタベリー大聖堂への途上で、退屈しのぎに順番で話をするという枠物語です。当時の世俗語である中英語で書きましたが、彼の使った言葉が、のちの英語の基礎となったとも言われています。

 イタリアから始まったルネサンス文化は、じわじわとヨーロッパ中に広がり、ラテン語やギリシア語の古典研究が流行しました。中でもオランダの人文主義者エラスムスは、古典の知識を駆使して、1511年に「痴愚神礼賛」をラテン語で刊行しました。人間社会で繰り広げられる愚行を、饒舌に風刺した作品で、たいへん広く読まれました。エラスムスから影響を受けたドイツのルターは、1517年に「95か条の論題」を発表し、宗教改革を始まったのです。

 エラスムスから影響を受けたもうひとりの重要人物が、トマス・モアです。モアは、イギリスのヘンリー8世の顧問官でした。親友エラスムスの「痴愚神礼賛」に触発され、1516年に「ユートピア」をラテン語で刊行しました。現実には存在しない理想的な社会を描くことで、当時のイギリス社会を批判したのです。のちにモアは、ヘンリー8世から離婚問題で助言を求められたとき、カトリック教徒としての信念を曲げず反対しました。これで国王の不興を買い、最後には反逆罪で処刑されるに至りました。

 悪名高きヘンリー8世は、6度の結婚をし、カトリック教会から離脱して、イギリス国教会の首長となりました。ところが皮肉にも、教皇から離れたことで、イギリスは急速に発展し始めたのです。1558年にエリザベス1世が即位した時期から、イギリスは絶頂期に向かっていきました。1588年にはスペインの無敵艦隊を撃破して、イギリスの国威はいっきに高揚しました。同時に文化も発展しました。エリザベス朝がイギリスルネサンスの最盛期となり、その象徴的な出来事がシェイクスピアの登場です。

 ウィリアム・シェイクスピアは、世界最大の劇作家です。37編の戯曲を残しました。その活動は、四つの時期に分かれます。第1期は1591年頃からのデビュー時代で、史劇「ヘンリー6世」、悲劇「ロミオとジュリエット」、喜劇「間違いの喜劇」「真夏の世の夢」などがあります。第2期は1956年頃からの喜劇の時代です。喜劇「ベニスの商人」「空騒ぎ」「お気に召すまま」「十二夜」、悲劇「ジュリアス・シーザー」などがあります。第3期は1601年頃からの悲劇の時代です。悲劇「ハムレット」「オセロー」「リア王」「マクベス」、喜劇「終わり良ければすべて良し」などがあります。第4期は1608年頃からのロマン劇の時代です。ロマン劇「ベリクリーズ」「冬物語」「テンペスト」などがあります。シェイクスピアの作品は普遍的な価値を持ち、現代でも多くの劇場で上演されています。また彼の残した戯曲は、全集で読む価値があると言われています。

 次回は、イギリスピューリタン文学について述べたいと思います。

 さいごに。(じわじわ増える感染者・・・)

 再び新型コロナウィルスの感染者が、じわじわと増えてきました。
 しかし国は以前ほど問題にしていません。感染者増は検査を広く行われた結果だとか。

 でも、今さら経済活動を止めることはできない、というのが本音ではないでしょうか。
 再開したばかりの経済活動。その一方で、東京の感染者は連日200人超え・・・

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