密林の語り部 [20世紀ラテンアメリカ文学]
「密林の語り部」 バルガス=リョサ作 西村英一郎訳 (岩波文庫)
アマゾンの密林に入り込み、先住民の語り部となった、ユダヤ人青年の物語です。
1987年に出ました。80年代の作者の代表作です。実験的な手法で描かれています。
「私」は、フィレンツェのある画廊で、アマゾンの密林の写真展を見ました。
マチゲンガ族の輪の中心にいる、ひとりの語り部の姿を見て、戦慄が走りました。
写っていたのは、大学時代の親友、ユダヤ人のサウル・スラータスではないのか?
彼は、未開の先住民文化に深く傾倒し、あるとき忽然と姿を消していたが・・・
さて、この小説も、最初はなかなか手強かったです。
第1章と第2章は良かったのですが、第3章に入ると訳が分からなくなりました。
「その後、地上の人々は、太陽が落ちていくほうへまっすぐ歩きはじめた。昔は、
人々もじっとしていた。天の眼である太陽は動かなかった。眠ることもなく、いつ
も眼を開けて、私たちを見つめ、世界を眺めていた。」(P53)
いったい、何の話が始まっちゃったんだ? しかし、もう私は慌てません。
「訳者あとがき」を、さっさと読んでしまえばいいのです。
構成は全8章。第1章と第8章に挟まれた6章は、対位法的に配されていると言う。
そして、3・5・7の奇数章は、語り部が話している神話や伝説なのだそうです。
なるほど。だから、なんだかよく分からないのか。
語り部の話はあちこちに飛ぶし、でたらめなカタカナ語がやたら出てくるし・・・
分からなくていいのだと、割り切ってからは、安心して読み進められました。
しかし、この語り部の話こそが、この作品の命なのです。できれば、分かりたい。
「悪戯者のカマガリーニがおちんちんを刺してからというもの、どのように、どうし
て起こるか分からないが、タスリンチは、突然、思いついたことをせずにはいられな
い。〈命令が聞こえてくる〉(中略)女をさらってきたのもその命令の一つだったよ
うだ。」(P151)
こういうとりとめのない話が、次から次に重ねられていきます。
これを、「面白い」と思うか、「アホか」と思うかは、非常に微妙なところですね。
「語り部が話すように話すとは、その文化のもっとも深奥のものを感じ、生きること
であり、その底部にあるものを捉え、歴史と神話の神髄をきわめて、先祖からのタブ
ーや言い伝えや、味覚や、恐怖の感覚を自分のものとすることだからだ。」(P333)
「話す」ということは、その民族の文化の根源に関わることです。
そういったことを、作者は最も言いたかったのではないでしょうか?
さて、「密林の語り部」を読んだら、古代マヤの神話を読みたくなってきました。
中公文庫から「マヤ神話ポポル・ヴフ」が出ています。この機会に読みたいです。
2003年に出た「楽園への道」は、池澤夏樹の世界文学全集にも入っていました。
バルガス=リョサの作品では、「楽園への道」がイチオシという人も多いです。
さいごに。(第二波は?)
再びコロナの感染者数が、じわじわと増えてきました。
昨日はとうとう全国で350人。米国の5万人に比べたら全然ましですが・・・
とにかく、しっかり予防して、これ以上増えないように気を付けたいです。
それでも「第二波は来る」と言われているので、しっかり備えておかなければ。
アマゾンの密林に入り込み、先住民の語り部となった、ユダヤ人青年の物語です。
1987年に出ました。80年代の作者の代表作です。実験的な手法で描かれています。
「私」は、フィレンツェのある画廊で、アマゾンの密林の写真展を見ました。
マチゲンガ族の輪の中心にいる、ひとりの語り部の姿を見て、戦慄が走りました。
写っていたのは、大学時代の親友、ユダヤ人のサウル・スラータスではないのか?
彼は、未開の先住民文化に深く傾倒し、あるとき忽然と姿を消していたが・・・
さて、この小説も、最初はなかなか手強かったです。
第1章と第2章は良かったのですが、第3章に入ると訳が分からなくなりました。
「その後、地上の人々は、太陽が落ちていくほうへまっすぐ歩きはじめた。昔は、
人々もじっとしていた。天の眼である太陽は動かなかった。眠ることもなく、いつ
も眼を開けて、私たちを見つめ、世界を眺めていた。」(P53)
いったい、何の話が始まっちゃったんだ? しかし、もう私は慌てません。
「訳者あとがき」を、さっさと読んでしまえばいいのです。
構成は全8章。第1章と第8章に挟まれた6章は、対位法的に配されていると言う。
そして、3・5・7の奇数章は、語り部が話している神話や伝説なのだそうです。
なるほど。だから、なんだかよく分からないのか。
語り部の話はあちこちに飛ぶし、でたらめなカタカナ語がやたら出てくるし・・・
分からなくていいのだと、割り切ってからは、安心して読み進められました。
しかし、この語り部の話こそが、この作品の命なのです。できれば、分かりたい。
「悪戯者のカマガリーニがおちんちんを刺してからというもの、どのように、どうし
て起こるか分からないが、タスリンチは、突然、思いついたことをせずにはいられな
い。〈命令が聞こえてくる〉(中略)女をさらってきたのもその命令の一つだったよ
うだ。」(P151)
こういうとりとめのない話が、次から次に重ねられていきます。
これを、「面白い」と思うか、「アホか」と思うかは、非常に微妙なところですね。
「語り部が話すように話すとは、その文化のもっとも深奥のものを感じ、生きること
であり、その底部にあるものを捉え、歴史と神話の神髄をきわめて、先祖からのタブ
ーや言い伝えや、味覚や、恐怖の感覚を自分のものとすることだからだ。」(P333)
「話す」ということは、その民族の文化の根源に関わることです。
そういったことを、作者は最も言いたかったのではないでしょうか?
さて、「密林の語り部」を読んだら、古代マヤの神話を読みたくなってきました。
中公文庫から「マヤ神話ポポル・ヴフ」が出ています。この機会に読みたいです。
2003年に出た「楽園への道」は、池澤夏樹の世界文学全集にも入っていました。
バルガス=リョサの作品では、「楽園への道」がイチオシという人も多いです。
さいごに。(第二波は?)
再びコロナの感染者数が、じわじわと増えてきました。
昨日はとうとう全国で350人。米国の5万人に比べたら全然ましですが・・・
とにかく、しっかり予防して、これ以上増えないように気を付けたいです。
それでも「第二波は来る」と言われているので、しっかり備えておかなければ。
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