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世界文学の流れをざっくりとつかむ26 [世界文学の流れをざっくりとつかむ]

≪第六章≫ ルネサンス期から十七世紀の文学

 6 フランス古典主義文学

 ブルボン王朝の二代目のルイ13世は、宰相リシュリューのもとで絶対王政への道を歩み始めました。1635年にリシュリューのもとに成立したアカデミー・フランセーズは、フランス語を純化し統一することで、フランスをまとめようとしました。1661年にルイ14世が即位すると、宰相マザランのもとで絶対王政がさらに強化されました。

 絶対王政が確立した17世紀は、文学史的には古典主義の時代と言われています。全体を統制して秩序を維持する絶対王政の思想が、三一致の法則など規則への服従を強いる古典主義と、相性が良かったためです。三一致の法則とは、同じ時間、同じ場所、一貫した筋と、三つのことを一致させる決まりです。そして、コルネイユ、ラシーヌ、モリエールの、古典劇三大作家が活躍しました。

 コルネイユは、男性的な作風の劇作家です。その登場人物の多くは、強い意志と理性を持つため、「あるべき人間を描く」と評されました。1637年に上演した悲劇「ル・シッド」が記録的なヒットとなり、一躍名声を得ました。これは、中世スペインの騎士エル・シッドの伝説に基づく劇でした。厳密な意味で三一致の法則を守らなかったため、論争が起きたことでも有名です。「ル・シッド」「オラース」「シンナ」「ポリウクト」の四大悲劇のほか、喜劇「嘘つき男」なども成功し、1640年代には絶大な人気を誇るようになっていました。

 ラシーヌは、女性的な作風の悲劇作家です。その登場人物の多くは、決断力に欠けて優柔不断なため、「あるがままの人間を描く」と評されました。古代ギリシア・ローマの出来事を題材にとった数々の悲劇で有名です。1667年に上演された「アンドロマック」や、1677年に上演された「フェードル」が代表作です。

 モリエールは俳優兼喜劇作家です。その特徴は、鋭い風刺を利かせているところです。ラシーヌとほぼ同時期に活躍し、1664年「タルチュフ」、1665年「ドン・ジュアン」、1666年「人間嫌い」、1668年「守銭奴」、1670年「町人貴族」、1673年「病は気から」など、数多くの傑作を残しました。モリエールは、演劇の基本は観客に喜ばれることだと考え、面白くするためには、「ドン・ジュアン」のように三一致の法則を無視する場合もありました。

 17世紀には、貴族の夫人らによって、サロンという社交場が開設されました。そこでは洗練された物腰が好まれ、知的な交流が生まれ、文学作品なども生み出されました。1678年には、「クレーヴの奥方」が、かつてサロンの花形だったラファイエット夫人によって書かれました。これは、クレーヴ夫人とヌムール公のかなわぬ恋を描き、「恋愛心理小説の祖」「近代小説の祖」として、文学史上に燦然と輝いています。

 次回は、東洋の文学の流れについて述べたいと思います。

 さいごに。(娘が菅さんを応援する理由)

 うちの娘は菅氏を応援しています。というのも、「かわいいから」だそうです。
 そうかなあ。出馬の仕方からして、実にしたたかな人のように思えるのだけど・・・ 

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