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贖罪(イアン・マキューアン) [20世紀イギリス文学]

 「贖罪」 イアン・マキューアン作 小山太一訳 (新潮文庫)


 13歳のときに犯した、偽証の罪に対する贖罪をテーマにした長編小説です。
 2001年に刊行されて、マキューアンの最高傑作と考えられている作品です。


贖罪 (新潮文庫)

贖罪 (新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/12/22
  • メディア: 文庫



 ブライオニーが13歳のとき、従姉のローラが何者かに襲われる事件がありました。
 彼女は目撃していなかったにも関わらず、幼馴染のロビーを犯人だと証言しました。

 それより少し前、偶然から、彼女はロビーが姉を襲っていると勘違いしていたのです。
 しかし本当は、ロビーと姉のセシーリアは、お互いに愛し合っていたのでした。

 ロビーに嫌悪感を持ってしまったブライオニーは、彼が犯人だと思い込んで・・・
 手錠をかけられたロビーは、セシーリアと言葉を交わしたあと去って行き・・・

 第一章が長いです。全618ページのうち、318ページまでが第一章です。
 しかし、ここまでは物語の発端です。怒涛の展開はこのあとの第二章と第三章です。

 長くなった理由は、同じ出来事を、色々な人の視点を通して見ているからです。
 だから非常に緻密に描かれていますが、反面、まどろっこしく感じてしまいました。

 おそらく、微に入り細に入り描いているのは、贖罪のつもりだからでしょう。
 自分の犯した罪から目をそらさず、しっかりと向き合うつもりだったのでしょう。

 しかし、それにしても長すぎました。100ページぐらいに圧縮してほしかったです。
 せっかくこのあとがすばらしいのに、ここで投げ出してしまう読者が出そうなので。

 面白いのは、13歳のブライオニーが、思春期らしいもの思いをしているところです。
 彼女は、「自己」や「魂」について、哲学的な考えをめぐらしています。

 「自分はこうして生きているが、他の人たちも自分と同じく生きているのだろうか?
 たとえば、姉という人間は本当に姉自身にとって大事な存在なのだろうか?」(P65)

 そして彼女は、人は皆、自分と同じくリアルな存在であるという事実に気付きます。
 そして、お互いリアルな存在であることを忘れるところから、不幸は始まるのだと。

 そういったことに気付きながら彼女は、ロビーや姉のことを考えられませんでした。
 自分の証言によって、ふたりがこの先どれほどの苦しみを味わうのか・・・

 そのことがようやく分かったのは、それから何年もたってからでした。
 ブライオニーはどのように贖罪しようとしたのか? そして贖罪は可能だったのか?

 「人々の個々の精神に分け入り、それらが同等の価値を持っていることを示せるのは
 物語だけなのだ。物語が持つべき教訓はその点に尽きるのだ。」(P73)

 第三章の終盤まで読んだとき、一瞬、「ああ、良かった」と思ってしまいます。
 ところが、最後の短い章を読むと、「それはないだろう!」と叫びたくなります。

 やりきれなくなるような結末です。お腹のあたりに、ずしりときました。
 「つぐない」というタイトルで映画化されていますが、私は見る気になりません。

 さいごに。(ようやく分かった)

 私は以前「副反応がこんなにひどかった」みたいな会話を聞くと、こう思いました。
 「自慢するんじゃねえ」と。副反応が無かった自分には、とてもうらやましかった!

 ところが、モデルナの副反応で苦しみを味わった今、ようやく分かりました。
 みんな、副反応が本当にひどかったんですね。自慢でもなんでもなかったんですね。

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スローフードな人生! [読書・ライフスタイル]

 「スローフードな人生!」 島村菜津 (新潮文庫)


 スローフードによって人生をより豊かにし、人間性を回復しよう、という著書です。
 スローフードは1986年にイタリアで提唱され、現在は国際的な運動となっています。


スローフードな人生!―イタリアの食卓から始まる (新潮文庫)

スローフードな人生!―イタリアの食卓から始まる (新潮文庫)

  • 作者: 島村 菜津
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2022/03/27
  • メディア: 文庫



 スローフードについて、私はなんとなくこんな印象を持っていました。
 「伝統的な郷土料理を積極的に食すことで、ファストフードに対抗する運動」と。

 しかしスローフードは、ただ「食」に関することだけではありませんでした。
 「スローフードな人生」とあるように、私たちの「人生」に関わることだったのです。

 「運動の軸になる考え方は、会員だけでなくって、会に関わるすべての人々に、ゆと
 りのある、質の高い食生活を実現することだ。そして、そうした活動を通じて、社会
 のあらゆる局面に人間性を回復することなんだ」(P28)

 「ゆとり」のある食生活によって、「人間性を回復する」というのですね。
 この考え方が生まれた背景には、ファストフードの世界規模の広がりがあります。

 「いいかい、食ってもんは、コミュニケーションの手段で、異文化との無言の対話な
 んだ。そして大人と食卓を共にすることは子供たちにとって社会化への糸口なんだ。
 食べ方も知らず、複雑な味覚の世界にも分け入らず」、ファーストフード漬けの大人
 は、いわば閉ざされたエゴの殻にとどまっている子供のようなものだ。」(P85)

 ファストフードは、世界を均質化し、味気ないものにしてしまいます。
 そして、やがて社会全体が総大人こども化する羽目になる、と危惧しています。

 「大げさな言い方をすれば、スローフードとは、口から入れる食べ物を通じて、自分
 と世界との関係をゆっくりと問い直すことにほかならない。自分と友、自分と家族、
 自分と社会、自分と自然、自分と地球全体の関係を、である。」(P371)

 スローフードの哲学がよく分かる言葉です。
 そして著者は、イタリアのバール、ワイン、チーズ、田舎の暮らしに言及し・・・

 あるイタリア人男性は、昼食を家族と食べるために、毎日職場から家に戻ります。
 そして、ゆっくりと時間をかけて食事し、昼寝をしてから職場に戻ると言います。

 それこそ、豊かな生活というものでしょう。
 マクドナルドでちゃちゃっとランチを済ませる、という行為の対極にあります。

 ちなみに私は、毎日手作り弁当を食べることができるので、妻に感謝しています。
 妻は、朝早く起きて、私のお弁当をいろいろ工夫して作ってくれているのです。

 ところがたまにインスタントカレーを食べていると、「おいしそうですね」と、同
 僚から声を掛けられるのです。これこそ、私たちの食文化が衰退した証拠でしょう。

 それから、我々の昼休みはわずか45分です。しかもたいてい仕事が入ります。
 だから、食事は15分ぐらいで飲み込んでます。スローフードから何と遠いことか!

 さいごに。(電動アシスト)

 娘の高校は、電動アシスト付き自転車での通学が、許可されています。
 ただし、現在実際に電動付きで通学している人は、ほとんどいないと言います。

 娘にはそのことを充分話した上で、電動アシスト付き自転車を買いました。
 うちまでの上り坂もスイスイこいでいけるので、とても感動しました。

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どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか? ほか [哲学・歴史・芸術]

 「どうで死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか?」中島義道(角川文庫)
 「カイン 自分の『弱さ』に悩むきみへ」中島義道(新潮文庫)


 自分の死と宇宙の終焉という絶対的不幸を前に、いかに生きるべきかを教えた本です。
 2004年刊の「どうせ死んでしまう・・・・私は哲学病」を、改題・文庫化したものです。


どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか? (角川文庫)

どうせ死んでしまうのに、なぜいま死んではいけないのか? (角川文庫)

  • 作者: 中島 義道
  • 出版社/メーカー: 角川グループパブリッシング
  • 発売日: 2008/11/22
  • メディア: 文庫



 「私が死んだ後、まもなく地球は膨張する太陽に吞み込まれ、やがて太陽系も無くな
 る。そして、巨大な宇宙はその数十億年後に熱死状態になる。私は10歳に満たないこ
 ろから、この残酷無比な未来像に縛りつけられたように囚われており、(中略)『ど
 うせ死んでしまう、どうせみんな無くなってしまうのだから、人生は何をしても虚し
 い』と思っていた。」(P34)

 自分の死と宇宙の終焉。
 この絶対的不幸のもと、中島少年はいつも「哲学的問い」を持ち続けていました。

 「なぜ、私はこの世に自分の意志ではなく生まれさせられ、苦しみあえいで生きねば
 ならず、そしてじきに死んでしまわねばならないのか、しかもほとんど何もわからな
 いままに。」(P18)

 彼は、この問いこそが、生涯をかけて真剣に問うべき問いであると確信しました。
 そして、そのような「真理を求めるもの」が自殺してはいけないのは明らかです。

 「真理を求めることを第一の生きる目標に定めた者は、それを実現する可能性をみず
 から放棄してはならない。」(P28)

 真理を求める哲学者は、決してそれを途中で投げ出してはならないのです。
 たとえ「どうせ死んでしまう」と分かっていても「いま死んではいけない」のです。

 では、この絶対的不幸のもとで、我々はいかに生きていけばいいのか。
 それは2章「幸福を求めない」と3章「半隠遁をめざそう」で語られます。

 「幸福を求めない」では、死ぬ前にぐれてみよう、という提案が面白かったです。
 「上手にぐれるための10冊」は、すべて読みたくなりました。

 「半隠遁をめざそう」では、必殺の中島節が聴かれます。
 「人生を〈半分〉降りる」でおなじみの、中島独特の人生論が語られます。

 さて、新潮文庫からは「カイン 自分の『弱さ』に悩むきみへ」が出ています。
 絶対的不幸のもとでの生きるヒントを、T君との悩み相談形式で書いています。


カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫)

カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ (新潮文庫)

  • 作者: 義道, 中島
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/07/28
  • メディア: 文庫



 「カイン」は、中島義道の本では、割と人々に受け入れられているようです。
 それは、T君に宛てた中島の手紙に、優しさと誠実さが滲みでているからです。

 「親を捨てる」「なるべくひとの期待にそむく」「怒る技術を体得する」
 「ひとに『迷惑をかける』訓練をする」「自己中心主義を磨き上げる」・・・

 と書いていくと、例によって中島がへそ曲がりなこと言ってるように感じます。
 しかし、読んでみると・・・中島義道の新たな魅力を発見します。

 さいごに。(教科書3万円)

 娘の進学先は進学校で、教科書&参考書が多くて驚きました。代金総額3万円。
 特に数学と英語が多いですね。娘はこの学校で、勉強についていけるのか?

 さっそく春休みの課題に取り組み始めましたが・・・
 中学校と高校のレベルの差に驚いています。

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アラスカ 風のような物語 [日本の現代文学]

 「アラスカ 風のような物語」 星野道夫 (小学館文庫)


 10年以上にわたって心揺さぶる写真を、アラスカで撮り続けた著者の写真文集です。
 1996年に死亡したのちに、再編集されました。姉妹本に「永遠の生命」があります。


アラスカ 風のような物語(小学館文庫)

アラスカ 風のような物語(小学館文庫)

  • 作者: 星野 道夫
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 1998/12/04
  • メディア: 文庫



 1990年の秋、星野道夫は久しぶりに、エスキモーの村シシュマレフを再訪しました。
 クリフォードの家に泊まった夜、奥さんのシュアリィが見せた古ぼけた手紙は・・・

 「僕は日本の学生でホシノ・ミチオといいます。本の中であなたの村の写真を見まし
 た。村の生活にとても興味があります。訪ねたいと思っているのですが、誰も知りま
 せん。仕事は何でもしますから、どこかの家においてもらえないでしょうか。」

 その20年ほど前、18歳だった星野は、一冊のアラスカの写真集と出会いました。
 シシュマレフ村の写真を見て、住所も分からないまま、代表者宛に手紙を出しました。

 半年後、本当に返事が来たのです。その返事を書いたのが、クリフォードでした。
 そして1971年の夏を、星野はアラスカのエスキモーたちとともに過ごし・・・

 アラスカに行きたいという人はいても、実際に一歩を踏み出す人はどれほどいるのか?
 手探りで手紙を書いたときに、星野道夫の生き方の方向性が決まったのだと思います。

 それにしてもすごい行動力です。行動力にはそれを支える信念がなくてはなりません。
 星野道夫の写真と文章からは、その信念が伝わってくるので、心が揺さぶられます。

 「どんな民族であれ、どれだけ異なる環境で暮らそうと、人間はある共通する一点で
 何も変わらない。それは、だれもがたった一度のかけがえのない一生を生きるという
 ことだ。世界はそのような無数の点で成り立っているということだ。」(P242)

 人間も、動物も、植物も、すべてかけがえのない命を燃やしています。
 そして、そういうひとつひとつの命がつながって、この世界が成り立っています。
 
 そういう考え方を持っているから、彼のまなざしはいつも優しい。
 写真からも文章からも、命を大切に思っている彼の心がにじみ出ています。

 (それにしても、まったくどうして人は争い合わずにはいられないのでしょうか。
  ロシアのウクライナ侵攻による被害を思うと、情けない気持ちになります。)

 さて、文章では20年ぶりの再訪を描いた「シシュマレフ村」が良いです。
 ほか、「エスキモーになったボブ・ユール」や「クジラの民」も印象的でした。

 写真では、P148のユーコン川、P206のムース、P238の熊などが気に入りました。
 しかし、最も印象に残ったのはP156のよく分からない写真。これがマイベストです。

 小学館文庫からは、姉妹編として「アラスカ 永遠なる生命」も出ています。
 動物写真中心の編集なので、動物好きにはたまらないと思います。


アラスカ 永遠なる生命(小学館文庫) (小学館文庫 G ほ- 1-2 VISUAL SERIES)

アラスカ 永遠なる生命(小学館文庫) (小学館文庫 G ほ- 1-2 VISUAL SERIES)

  • 作者: 星野 道夫
  • 出版社/メーカー: 小学館
  • 発売日: 2003/05/09
  • メディア: 文庫



 P38のカリブーやP108のリスも良いのですが、最後の花の写真がサイコーでした。
 厳しい環境の中で一生懸命に咲く花たちの、けなげな姿が収められています。

 なお、星野道夫の代表作は、エッセイ集「旅をする木」です。
 この中の作品のいくつかは、高校の国語の教科書に収録されています。


旅をする木 (文春文庫)

旅をする木 (文春文庫)

  • 作者: 星野 道夫
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1999/03/10
  • メディア: 文庫


 
 さいごに。(副反応をゲットしたが)

 一回目も二回目もまったく副反応が無かったので、三回目はモデルナを打ちました。
 ところがその翌朝、体温は39度近くまで上昇し、頭がズキズキ傷み始めました。

 「副反応をゲット!」と喜ぶのもつかの間、苦しくて起きていられなくなりました。
 その夜は頭痛がひどくて、「副反応がほしい」と思ったことをとても後悔しました。

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されど われらが日々― [日本の現代文学]

 「されど われらが日々—」 柴田翔 (文春文庫)


 学生運動に疲れた若者の虚無感を、さまざまな男女の視点を通して描いた小説です。
 1965年に出て芥川賞を受賞し、60年代から70年代の若者のバイブルとなりました。


新装版 されどわれらが日々 (文春文庫)

新装版 されどわれらが日々 (文春文庫)

  • 作者: 柴田 翔
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2007/11/09
  • メディア: 文庫



 大学生の「私(大橋)」は、遠縁の節子と婚約を交わしてから二年になりました。
 二人の生活は穏やかでしたが、そこには一種の諦めに似た雰囲気があるようでした。

 ある日「私」が古本屋で、「H全集」を購入したのは、まるで宿命のようでした。
 節子はその蔵書印を見て、かつての知り合いである佐野のものだと気付いたのです。

 節子は、佐野が共産党員として地下に潜る直前に会ったきりその消息を知りません。
 しかしのち、1955年の党の方針転換後に、佐野が自殺していたことが分かりました。

 佐野の遺書を読んだ節子は、しだいに「私」と距離を置くようになり・・・
 節子には以前、どのようなことがあったのか? そして今、何を思っているのか?

 「私たちの間柄、生活は無に過ぎない、日々そこに存在しているかにみえる私たちの
 生は、個々ばらばらの事象の偶然的な継起に過ぎず、その無意味さの中で私は疲れ果
 ててしまっている、私の生は乾いた砂のように、すくい上げる手の指の間から流れ落
 ちてしまい、死に臨んで握りしめようとする手に何かの残るはずはない—」(P198)

 この作品は、1955年の第6回全国協議会以降の、左翼学生の敗北感を描いています。
 中国共産党型の暴力路線が放棄されると、多くの左翼学生が信じるものを失いました。

 「問題は、人間の集団である以上、当然そうした誤りや憎悪や権力欲や、その他人間
 に付随するあらゆるものが入り込む可能性がある党を、私たちが人民の党は誤りがな
 い、人民の知恵の集まった党の判断は個々人の判断を越えて常に正しいと定言命題化
 して、信じた、あるいは信じようとした、その私たちの態度にあったのです。」(P186)

 確かにそういう時代があったことを、私たちも聞いて知っていました。
 実際、私たちが大学生の頃も、「〇〇派」などの学生運動の組織が残っていました。

 彼らはヘルメットをかぶり顔を布で覆い、子供っぽい純真さで熱心にアジりました。
 彼らの「革命ごっこ」を、私たちは危険視するよりも、むしろあわれんでいました。

 この作品は、そういう哀れな人たちの背景を知るためには、最適だったと思います。
 そういう時代を写しているという意味で、「時代小説」と言ってもいいでしょう。

 ところが「時代小説」であるがゆえ、現代の感覚で読むと失望するかもしれません。
 横川和子とF先生とのエピソードなど、バカバカしくて笑えてしまって・・・

 ベストセラーとなって、若者たちのバイブルだった、というのも今では信じがたい。
 やはり、時代が違うのでしょうか。

 同時収録の「ロクタル管の話」は、かつて高校の国語の教科書に載っていました。
 ラジオの真空管の一種であるロクタル管の、美しさとその魅力が書かれています。

 「ロクタル管の美しさ自体は、いわば虚像の美しさであったと言えるかも知れない。
 しかし、その虚像を通して、ぼくらの憧れが指向していたのは、あの、ぼくらが見
 ることなく信じうる、曖昧さの全くない、確定的な正確さを持った電気現象の世界
 だった(後略)」(P245)

 真空管ラジオマニアの話です。主人公の「ぼく」は中学3年生です。
 「ぼく」がお小遣いをはたいて買った真空管は・・・

 さて、柴田翔は、「されど われらが日々—」以外には知られた作品がありません。
 と思ったら、彼はゲーテの研究家で、「親和力」を翻訳していました。
 「親和力」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2013-08-04

 さいごに。(合格しました)

 娘は第一志望の高校に合格し、さっそく制服と体操着の採寸と注文に行きました。
 ようやく一段落です。今日は近所の友達の家で、お泊り会をしています。

 夜中の2時まで女子トークをする予定だとか。
 少し大目に見なくては。中学校時代最後の思い出作りとなるでしょうから。

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アムステルダム [20世紀イギリス文学]

 「アムステルダム」 イアン・マキューアン作 小山太一訳 (新潮文庫)


 かつて同じ恋人を持った親友同士が、憎しみ合うことによって悲劇に至る物語です。
 1998年に出てブッカー賞を受賞しました。作者は現代イギリスの代表的な作家です。


アムステルダム (新潮文庫)

アムステルダム (新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/07/28
  • メディア: 文庫



 社交界の女王として君臨し、数々の浮名を流したモリー・レインが亡くなりました。
 死因は脳内の障害のようで、肉体的な機能が衰えたのち痴呆状態になったそうです。

 モリ―の元恋人たちが葬儀に参列しましたが、中には外務大臣も含まれていました。
 作曲家のクライヴと某紙編集長のヴァーノンの二人も参列し、思い出を語りました。

 親友だった二人は、狂気のうちに死んだモリ―を思い、次のような約束をしました。
 「もし自分たちが同じような状況に陥った場合には、お互いに安楽死させよう」と。

 その後ヴァーノンは、モリ―の夫から、スキャンダラスな写真を提供されました。
 それはモリーの遺品で、なんと、外務大臣の女装姿を撮ったものでした。

 クライヴの反対を押し切り、新聞の部数を上げるためヴァーノンはその写真を・・・
 その行為によって二人の友人関係も壊れ、お互いに憎しみを抱くようになり・・・

 という具合に、物語は中盤からどろどろし始めます。
 こういう展開が、イギリスではうけるのでしょうか。私は引いてしまいましたが。

 クライヴもヴァーノンも自分のことしか考えていないから、破滅に向かうのです。
 いくら才能があっても、あたたかい心を持っていなくては、幸せにはなれませんよ。

 正直に言って、非常に後味の悪い小説でした。
 しかし、そういう皮肉な終わり方がいいのだ、と言う人も多いのかもしれません。

 唯一痛快だった場面は、外務大臣の妻が思いがけない手段をとったところです。
 夫のスキャンダルを無効化するために、彼女はどんな行動に出たのか?

 ローズ・ガーモニーを主役にして書き直したら、もっと面白くなるかもしれません。
 彼女の秘策によって、あさはかな男どもが自滅していくという物語にしたら・・・

 ところで、私はタイトルの意味を、最後の場面の場所からだと思っていました。
 ところが、二人が安楽死を約束し合う場面で、分かる人には分かるのだそうです。

 というのは、安楽死を合法的に行う場所と言ったら、アムステルダムだから。
 なるほど。そう考えると、あの最後の場面は、実に皮肉な意味を持ちますね。

 さて、マキューアンといったら「贖罪」だ、と読書仲間が教えてくれました。
 「贖罪」も新潮文庫から出ていて手に入りやすいので、読んでみたいと思います。


贖罪 (新潮文庫)

贖罪 (新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/12/22
  • メディア: 文庫



 さいごに。(摂生に努める)

 最近私は、お菓子の食べ過ぎに注意するなど、摂生に努めています。
 というのも、もう少ししたら第三回目のワクチン接種があるので。

 今度こそ、わずかでも副反応が出るように、体をきれいに保っておきたいのです。
 私を「おじい」と呼ぶ娘を見返してやるためにも、がんばらなければ。(笑)

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碾臼(ひきうす) [20世紀イギリス文学]

 「碾臼」 マーガレット・ドラブル作 小野寺健訳 (河出文庫)


 恵まれた境遇の女性が、シングルマザーとなって世間を知り、成長していく物語です。
 1965年に刊行されたドラブルの三作目で、代表作です。河出文庫版は現在絶版です。


碾臼 (河出文庫 501A)

碾臼 (河出文庫 501A)

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2022/03/10
  • メディア: 文庫



 若く知的なロザマンド・ステイシーは、一等地のフラットで一人暮らしをしています。
 彼女は、現在アフリカで暮らしている両親から自立の精神をたたきこまれてきました。

 ロザマンドには二人の恋人がいましたが、そのどちらとも関係を持っていません。
 しかし、ラジオアナウンサーのジョージと知り合い、たった一度関係を持ちました。

 ところがその一回で、ロザマンドは妊娠してしまったのです。
 すでに、ジョージと会うことはなく、ジョージから電話さえない状態でした。

 周囲の反対の中、ロザマンドは子どもを産んで、育てようと決心しました。
 だが、ジョージを愛しく思うからこそ、彼にそのことを伝えることさえできません。

 おなかの中に宿った命。それは希望であると同時に重荷(碾臼)でもありました。
 やがて美しい赤ん坊が生まれ、母親としての生活も始まり・・・

 ドラブルは、シングルマザーの生き様を描いたこの作品で、一躍有名になりました。
 特に主人公が、人とのふれあいを通して人生を深めていく場面が、印象に残ります。

 主人公のロザマンドは、恵まれた家庭で育ち「女性の自立」を植え付けられました。
 二人の恋人と一線を越えられないのも、自立心が邪魔をしたからかもしれません。

 ジョージを愛しく思いながら、状況を伝えられないのも、自立心からでしょう。
 ラジオ番組を通してだけジョージに会えるという状況は、あまりに切なすぎます。

 「ひっそりとどこの誰なのかもわからないジョージ、半マイルとはなれていない
 ところで暮らしているかも知れないのに一年以上名を聞くこともなく、姿も見え
 ず、遠く遠くわたしの記憶から、わたしの生活から消えて行くばかりのジョージ」
 (P189)

 それだけに、ジョージと2年ぶりに再会する場面は、少し期待してしまいました。
 いいところまで行ったのに・・・もう少し甘いラストでもよかったのでは?・・・

 もう一つ印象に残ったのは、同じフラットに住む夫婦に援助を求めた場面です。
 ほとんど交流のなかった夫婦が、予想外の親切心を示してくれたのは、なぜか?

 「彼らがあんなにやさしい態度を見せたのは、こちらがその厚意にすがったのが
 第一なのだ、ということに気がついた。」「もしわたしがもっと他人の厚意にす
 がるならば、他人はもっとわたしに親切にしてくれるのだろう。」(P244)

 ロザマンドは、妊娠を機にさまざまな人々とつながり、世間を知っていきます。
 新しい人生を一生懸命生きようとするロザマンドを、心から応援したくなります。

 さて、作者マーガレット・ドラブルの姉が、A・S・バイアットです。
 バイアットには、ブッカー賞を受賞した「抱擁」という大作があります。


抱擁〈1〉 (新潮文庫)

抱擁〈1〉 (新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2022/03/11
  • メディア: 文庫



抱擁〈2〉 (新潮文庫)

抱擁〈2〉 (新潮文庫)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2022/03/11
  • メディア: 文庫



 さいごに。(コンタクト)

 娘は現在、眼鏡を使っていますが、高校へ入ったらコンタクト・デビューの予定です。
 先日眼科でコンタクトを選んだと思ったら、今はnon-noを買って来て読んでいます。

 なるほど。オシャレが気になるお年頃なのですね。
 ちなみに私は、40代でファッション雑誌は卒業してしまいました。

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眺めのいい部屋 [20世紀イギリス文学]

 「眺めのいい部屋」E・M・フォースター作 西崎憲・中島朋子訳(ちくま文庫)


 ヴィクトリア朝の慣習に染まる令嬢が、異国で新しい価値観に目覚める物語です。
 1908年に刊行されました。1986年に映画化されて大きな話題となりました。


眺めのいい部屋 (ちくま文庫)

眺めのいい部屋 (ちくま文庫)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2001/09/01
  • メディア: 文庫





 フィレンツェのホテルで、ルーシーと従姉のシャーロットは不満を漏らしました。
 眺めのいい部屋を用意すると聞いていたのに、全く眺めの悪い部屋だったからです。

 エマーソン親子の「部屋を替えよう」という申し出を、シャーロットは断りました。
 すぐに思い直して部屋を交換しますが、階級の違いを意識し、彼らになじめません。 

 ところがルーシーは、偶然市街で会ったエマーソン父子に、教会を案内されました。 
 彼らの自由な鑑賞はルーシーを驚かせます。ヨハネの昇天を見て、父は言いました。

 「あの青い服を着たでぶを見てみろよ。わたしと同じくらい体重があるぞ。それな
 のに空に向かってまるで風船玉みたいに飛んでいる」(P46)

 労働者階級であるエマーソン父子は、他の上流階級の人びととは感覚が違います。
 最初彼らの階級を軽蔑したルーシーでしたが、知らず知らず彼らにひかれていきます。

 後日、同宿の客たちと遠出をしたとき、ルーシーは菫の咲く場所で転げ落ちました。
 彼女がふと見ると、そこにエマーソンの息子のジョージがいて・・・

 この決定的な場面が、観光ガイドに載っていないような場所で起こる点が面白い。
 ありきたりな観光から脱したところに旅の醍醐味はある、ということでしょうか。

 こうしてルーシーは、押しつけられた古い価値観の呪縛を少しずつ解いてゆきます。
 そうして彼女は、抑え込まれた本来の自分というものを少しずつ見出してゆきます。

 イタリアの太陽と空気と、フィレンツェという異世界が、ルーシーの殻を破りました。
 旅に出ることの意味は、非日常の世界を通して、新しい自分を発見することなのです。

 いや、「新しい自分を発見」ではなく、「本来の自分を回復」なのかもしれません。
 興味深いことに第二部では、ルーシー一家が事務弁護士出であることが示されます。

 「だがイタリアが現れた。太陽が万物を平等に照らすように、誰もがその気になれば
 生きる楽しさを得ることができるイタリアで、彼女のそれまでの人生観は砕け散った。
 彼女の感受性は広がった。好感を抱いてはいけない人など存在しないということや、
 社会的な柵はたしかに動かしがたいが、それほど高くはないということを彼女は感じ
 た。」(P194)

 エマーソン父子は、どうやらルーシーの本質を見抜いていたようなのです。
 しかし、いよいよロマンスが始まるかと思ったら、ルーシーはローマへ旅立ちました。

 第二部に入ると、セシルという上流階級の(嫌味な)青年がルーシーに求婚し・・・
 そしてセシルの思いがけない行動によって、ルーシーはジョージと再会し・・・

 「僕たちは自分の立っている場所の何かに影を落としているんだ。影を落とすまいと
 して動いてみてもむだなことだ。(中略)そこで日の光に顔をむけて懸命に立ってい
 るしかないんだ」(P266) 

 「父は言っている。完璧な眺めはただひとつ、自分の頭上だって。地上のどんな眺め
 も、空の下手な模写にすぎないって」(P277)

 やっぱり、ジョージですよ。
 魅力的な言葉を吐くのは、皆ジョージです。そして、ジョージの父。

 さて、フォースターの主要テーマは、「階級や社会の壁を越える」というものです。
 代表作「インドへの道」や「ハワーズ・エンド」も、そのようなテーマを持ちます。

 ちくま文庫から出ていた「インドへの道」は、現在絶版です。
 「ハワーズ・エンド」は文庫化されていません。早く河出文庫から出してほしい。


インドへの道 (ちくま文庫)

インドへの道 (ちくま文庫)

  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 2022/03/05
  • メディア: 文庫



ハワーズ・エンド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7)

ハワーズ・エンド (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-7)

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2008/05/12
  • メディア: 単行本



 さいごに。(受検終了)

 娘の受検が終わりました。合格発表まであと1週間。今は羽を伸ばしています。
 先日は友達の家に集まって、「怖い映画大会」をやっていました。

 一人では怖くて見られないような映画を、友達4人で一緒に見たのだそうです。
 「リング」とか「エルム街の悪夢」とか「エクソシスト」とか・・・懐かしい!

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灯台へ2 [20世紀イギリス文学]

 「灯台へ」 ヴァージニア・ウルフ作 御輿(おごし)哲也訳 (岩波文庫)

 *注意。今回もネタバレが多いです。

 海辺の別荘で休暇を過ごすラムジー一家の姿を、意識の流れの手法で描いた小説です。
 前回は第一部と第二部を紹介しました。今回は主に第三部「灯台」を紹介します。


灯台へ (岩波文庫)

灯台へ (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2004/12/16
  • メディア: 文庫



 第三部「灯台」では、灯台へ行けなかったあの日から、10年の月日が経っていました。
 その間に第一次大戦があり、ラムジー夫人とアンドリューとプルーが亡くなりました。

 再び人々は別荘に集まりました。この日のラムジー氏は灯台行きにこだわっています。
 ジェイムズとキャムと一緒に灯台へ行くことで、妻の面影を見つけたいようなのです。

 ところが子供たちは、強引な父親に対する反発から、あまり口をきこうとしません。
 ボートでは父親も本を読みだして、ぎくしゃくしたまま灯台へ向かいました。

 遠くへ離れていくボートを眺めていたリリーは、ラムジー夫人を思い出していました。
 リリーは、夫人の亡霊を探すかのように記憶をたどるうちに、ある啓示を受けました。

 「まるで『人生がここに立ち止まりますように』とでもいうように。夫人は何でもな
 い瞬間から、いつまでも心に残るものを作り上げた(中略)混沌の只中に確かな形が
 生み出され、絶え間なく過ぎゆき流れゆくものさえ(彼女は雲が流れ、木の葉が震え
 るのを見ていた)、しっかりした動かぬものに変わる。」(P311)・・・

 リリーとともに我々読者もまた、10年前を思い出し第一部を読み返したくなります。
 すると、第一部でも重要な視点は、リリーがもっていたことに気づきました。

 「こうしてラムジー氏がテラスを往き来し、夫人が窓辺でジェイムズとくつろぎ、
 空には雲が流れ、風を受けた木がしなるところを見ていると、いかにも人生という
 ものが、もとはバラバラな体験の連続であっても、やがて渦を巻くようにまとまっ
 て一つの大きな波となり、いわば人はその波とともに丈高く盛り上がっては、勢い
 よく岸辺に自らを打ちつけるに至るものかが、いやでも生々しく感じ取れるのだっ
 た。」(P86)

 この考え方は、作者ウルフの「意識の流れ」の考え方にとても似ています。
 つまり、絵を描くリリーは、作者ヴァージニア・ウルフの分身のようなのです。

 そして実際にさまざまな研究では、そのように解釈されています。
 また「灯台へ」は、作者ウルフの体験を踏まえた作品だということです。

 リリーは失われたあの日を取り戻そうとして、絵を描き上げようとしました。
 ウルフもまた失われた時間を取り戻そうとして、この小説を書いたようなのです。

 さて、この小説の魅力はまばゆいような「意識の流れ」にあるとされています。
 しかし私は、この小説の本当の魅力は、10年間というギャップにあると思います。

 一日が終わって翌日になったら、もう10年の月日が経っていたみたいな・・・
 私は一瞬、浦島太郎状態となって、大きな喪失感を味わい、呆然としました。

 そしてその衝撃が、第三部はもちろん、第一部の魅力にも気づかせてくれたのです。
 なんでもないあの日が、かけがえのない幸せな日だったと懐かしく思い出させます。

 そして今、ラムジー氏と子供たちは灯台にたどりついて・・・
 リリーの絵もまた、最終局面にたどりつき・・・良い結末でした。

 ウルフの作品はこれまで三作紹介していました。
 「ダロウェイ夫人」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2022-02-05
 「オーランドー」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2022-02-23
 「灯台へ1」→

 遺作の「幕間」も平凡社ライブラリーから出ています。
 せっかく手に入りやすい形で、しかも新訳で出ているので、ぜひ読みたいです。


幕間 (平凡社ライブラリー)

幕間 (平凡社ライブラリー)

  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2020/02/13
  • メディア: 文庫



 さいごに。(5年連用日記)

 私は結婚した年から5年連用日記を使っていて、今年が5冊目の最初の年です。
 1日わずか5行ですが、この日記に私の20年の結婚生活がぎゅっと詰まっています。

 連用日記は、前年や前々年の同じ日のことを簡単に振り返ることができて便利です。
 ちなみに、現在使用しているのはミドリの商品です。お洒落だし書きやすいです。


ミドリ 日記 5年連用 洋風 12107001

ミドリ 日記 5年連用 洋風 12107001

  • 出版社/メーカー: ミドリ(MIDORI)
  • メディア: オフィス用品



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灯台へ1 [20世紀イギリス文学]

 「灯台へ」 ヴァージニア・ウルフ作 御輿(おごし)哲也訳 (岩波文庫)

 *注意。今回はネタバレが多いです。

 海辺の別荘で休暇を過ごすラムジー一家の姿を、意識の流れの手法で描いた小説です。
 1927年に刊行されました。「ダロウェイ夫人」と並ぶウルフの代表作です。


灯台へ (岩波文庫)

灯台へ (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2004/12/16
  • メディア: 文庫



 ラムジー夫人は、6歳の息子ジェイムズに「明日晴れたら灯台へ行く」と伝えました。
 息子はそれを楽しみにしているのですが、夫は「晴れないだろう」と水を差すのです。

 若い友人のタンズリーもまた、ジェイムズに「明日は行けないだろう」と言いました。
 ラムジー夫人は少しいら立ち、別荘に来ている人々は皆、ぎくしゃくし始めて・・・

 と書いてみると、どうでもいいことを描いたどうでもいい物語のように思えます。
 灯台へ行くの行かないの、晴れるの晴れないの、「だから何?」と言いたくなります。

 ところが読んでいくうちに、それこそがこの作品の魅力なのだと思えてくるのです。
 そして実際にこの小説は、20世紀イギリス文学で最も評価されている作品の一つです。

 さて、この小説は三部構成で、第一部「窓」が全体の半分ほどを占めています。
 そして第一部の主人公がラムジー夫人。50歳ぐらいですが、美しく品のある女性です。

 夫は哲学者で気難しいけど妻を愛していて、二人の間には八人もの子供たちがいます。
 さらに、この別荘には夫妻の親戚や友人たちが4~5人来て、一緒に暮らしています。

 この、多くの人々の心の揺れ動くさまを、ウルフは丹念に拾い上げていくのです。
 放っておけば消えて無くなるその場限りの思いを、永遠に残そうとしているようです。

 この手法が「意識の流れ」で、主体が次々と目まぐるしく変わっていきます。
 読者の視点はあちこち飛び、その日のいろんな人の心のつぶやきを眺めていくのです。

 しかし、その中心にあるのは、人々全員を見渡して気を配っているラムジー夫人です。
 だから、あちこち移動した読者の視点も、最後にはラムジー夫人に帰っていきます。

 そういう描き方だから、なかなか先へ進みません。いつになったら灯台へ行くか?
 驚いたことに、第一部は「明日」にさえならずに終わってしまうのです。 

 それでは第二部で「明日」のことを描いているのかというと、そうではありません。
 第二部「時はゆく」は、実に10年という時間の経過を表しているのです。

 その間に3人が亡くなったっことが、あっさりと伝えられています。「奥さんも亡
 くなったし、アンドリューさんは戦死、プルーさんはお産がもとで亡くなった。」

 なんと! 第一部での中心人物ラムジー夫人が亡くなっているのです。
 ここで、大きな喪失感に襲われました。そして、第一部を振り返ってみたとき・・・

 第一部の彼女を中心とする人々の、些細な内面の描写がきらきらと輝き出しました。
 そして、灯台へ行かなかった「あの日」が、急に貴重なものに思えてきたのです。

 考えてみれば、私たちの人生は、なんでもない一日一日の積み重ねでできています。
 そしてその一日は、どうでもいいような心の動きの積み重ねでできているのです。

 私たちが過ごしてきた時間の貴重さは、そのときにはなかなか気づかないものです。
 あとで振り返って初めて、それがかけがえのない時間だったと懐かしく思い出します。

 恥ずかしながら私は、ラムジー夫人が亡くなって突然この小説の魅力に気づきました。
 そしてようやく、この小説を楽しみ味わえるようになりました。

 第三部とタイトルは「灯台」です。いくらなんでも今度は灯台へ行くのでしょう。
 しかし、あれから10年経ってジェイムズは16歳。どのような展開になるのでしょう?
 
 さいごに。(磁器婚式?)

 今月末には、結婚20周年を迎えます。磁器婚式と言って、磁気を贈るのだそうです。
 磁器はいらないから旅行でもしよう、と思っていましたが、コロナで難しい状況です。

 近場でいいし、1泊でいいので、家族3人でゆっくり温泉でも・・・と思うのですが。
 わが地域の新規感染者数は高止まりしています。早くおさまってほしいものです。

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