木精(こだま) [日本の近代文学]
「木精(こだま)―或る青年期と追想の物語―」 北杜夫 (新潮文庫)
ドイツの研究所で学ぶ30歳の「ぼく」の、過去の追想と将来の希望を描いた物語です。
初期の傑作「幽霊」の20年後に書かれた続編です。自伝的要素の強い小説です。
「幽霊」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-01-26-2
30歳の「ぼく」は、ドイツのチュービンゲンにある、神経研究所で学んでいます。
実は日本を離れたのは、倫子(のりこ)という人妻と別れるためでもありました。
それにも関わらず、あれから2年たった今も、倫子のことばかり思い出します。
4年前の出会い、初めての関係、4歳の子、数々の逢瀬、口喧嘩、そして別れ・・・
「ぼくらの恋は、背徳の、不倫の恋であることに間違いはなかった。そしてそのゆえ
に、それはときにはほの暗く、ときには閃光のように燃え、一種ほろ苦い蜜の味を有
していたのかもしれない。」(P124)
日本の雑誌に送った作品が評価され、「ぼく」は小説家になる夢を持ち始めました。
クレッチュマー教授に学び、ドクターまで取りながら、「ぼく」は迷っていました。
とうとう「ぼく」は、3年間の留学を終えるころ、日本に帰る決心をしました。
その前にスイスに旅行し、敬愛する作家トーマス・マンの墓のある教会に詣で・・・
この場面がとても印象に残っています。おそらく北の体験とほぼ同じなのでしょう。
北自身も、トーマス・マンの作品に、とても大きな影響を受けたのです。
「静かに! このおびえたような鼓動は一体何なのだろう? 長いこと急坂を登って
きたための動悸なのだろうか。いや、長年、ぼくの精神を少しずつ育んでくれた旋律
が、この墓の周囲に漂っているのではなかろうか。
『ぼくはやってきました、遠い国から』
と、半ば無意識に、墓石に向かってささやいた。」(P139)
北は、マンの「トニオ・クレーゲル」から、特に大きな影響を受けたのだそうです。
そこで、ペンネームを「杜夫」(トニオ = 杜二夫 → 杜夫)にしたとも言います。
そして、「トニオ・クレーゲル」は、この作品の随所に登場し、時に引用されます。
人妻倫子との禁断の恋の始まりを思い出し、当時の心情を次のように書いています。
「ぼくという人間は、トニオ・クレーゲル少年のごとく、ひそかな愛慕をよせたハン
ス・ハンゼンやインゲボルク・ホルムからは決して好意を持たれることもなく、せい
ぜい芸術家の女友達リザヴェーダ・イワノヴナなどと冷静な友情を結べるくらいが実
情なのではあるまいか。」(P92)
トニオも、ハンゼン少年に好意を寄せるという、ある意味禁断の恋を経験します。
自分とトニオを重ね合わせ、すでにこの時点で、恋の終わりを予感しているのです。
さて、この作品は北の青年期とトーマス・マンへの思いが分かる点で興味深いです。
ただ、別れた女のことをいつまでもうじうじ書いている点は、引いてしまいました。
たとえば、「ぼく」の書いた手紙を倫子がブラジャーの中へ入れておいたとか・・・
ああ恥ずかし。いい年してそんなこと書いてるなよ、体がかゆくなってくるよ!
ついでながら、私には倫子という女性が、あまり魅力的には思えなかったです。
「ぼく」からの手紙を、夫に読まれてしまうなんて・・・ちょっとバカっぽいです。
私には倫子がつまらない女に思えたので、主人公「ぼく」に共感できませんでした。
倫子を追想する「木精」よりも、母を追想した「幽霊」の方が、はるかに良かった。
ところで、トーマス・マンについては、2013年~14年にひととおり読んでいます。
もちろん、「トニオ・クレーゲル」もすでに紹介しています。
「トニオ・クレーガー」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2013-10-24
ラストのクライマックスで、「ぼく」は「トニオ・クレーゲル」を手に旅をします。
この場面が良いです。本当に北杜夫は、「トニオ・クレーゲル」が好きなんですね。
さいごに。(奈良弾丸ツアー)
昨年12月、娘が修学旅行で奈良に行きながら寺を見なかったので、私は怒りました。
そこで、我が家では2月11日(日)に日帰りで、「追」の修学旅行を決行しました。
午前に法隆寺を、午後に興福寺と東大寺を回りましたが、日程が超ハードでした。
それでも娘は、教科書に載っている国宝を見ることができて、満足だったようです。
ドイツの研究所で学ぶ30歳の「ぼく」の、過去の追想と将来の希望を描いた物語です。
初期の傑作「幽霊」の20年後に書かれた続編です。自伝的要素の強い小説です。
「幽霊」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2020-01-26-2
30歳の「ぼく」は、ドイツのチュービンゲンにある、神経研究所で学んでいます。
実は日本を離れたのは、倫子(のりこ)という人妻と別れるためでもありました。
それにも関わらず、あれから2年たった今も、倫子のことばかり思い出します。
4年前の出会い、初めての関係、4歳の子、数々の逢瀬、口喧嘩、そして別れ・・・
「ぼくらの恋は、背徳の、不倫の恋であることに間違いはなかった。そしてそのゆえ
に、それはときにはほの暗く、ときには閃光のように燃え、一種ほろ苦い蜜の味を有
していたのかもしれない。」(P124)
日本の雑誌に送った作品が評価され、「ぼく」は小説家になる夢を持ち始めました。
クレッチュマー教授に学び、ドクターまで取りながら、「ぼく」は迷っていました。
とうとう「ぼく」は、3年間の留学を終えるころ、日本に帰る決心をしました。
その前にスイスに旅行し、敬愛する作家トーマス・マンの墓のある教会に詣で・・・
この場面がとても印象に残っています。おそらく北の体験とほぼ同じなのでしょう。
北自身も、トーマス・マンの作品に、とても大きな影響を受けたのです。
「静かに! このおびえたような鼓動は一体何なのだろう? 長いこと急坂を登って
きたための動悸なのだろうか。いや、長年、ぼくの精神を少しずつ育んでくれた旋律
が、この墓の周囲に漂っているのではなかろうか。
『ぼくはやってきました、遠い国から』
と、半ば無意識に、墓石に向かってささやいた。」(P139)
北は、マンの「トニオ・クレーゲル」から、特に大きな影響を受けたのだそうです。
そこで、ペンネームを「杜夫」(トニオ = 杜二夫 → 杜夫)にしたとも言います。
そして、「トニオ・クレーゲル」は、この作品の随所に登場し、時に引用されます。
人妻倫子との禁断の恋の始まりを思い出し、当時の心情を次のように書いています。
「ぼくという人間は、トニオ・クレーゲル少年のごとく、ひそかな愛慕をよせたハン
ス・ハンゼンやインゲボルク・ホルムからは決して好意を持たれることもなく、せい
ぜい芸術家の女友達リザヴェーダ・イワノヴナなどと冷静な友情を結べるくらいが実
情なのではあるまいか。」(P92)
トニオも、ハンゼン少年に好意を寄せるという、ある意味禁断の恋を経験します。
自分とトニオを重ね合わせ、すでにこの時点で、恋の終わりを予感しているのです。
さて、この作品は北の青年期とトーマス・マンへの思いが分かる点で興味深いです。
ただ、別れた女のことをいつまでもうじうじ書いている点は、引いてしまいました。
たとえば、「ぼく」の書いた手紙を倫子がブラジャーの中へ入れておいたとか・・・
ああ恥ずかし。いい年してそんなこと書いてるなよ、体がかゆくなってくるよ!
ついでながら、私には倫子という女性が、あまり魅力的には思えなかったです。
「ぼく」からの手紙を、夫に読まれてしまうなんて・・・ちょっとバカっぽいです。
私には倫子がつまらない女に思えたので、主人公「ぼく」に共感できませんでした。
倫子を追想する「木精」よりも、母を追想した「幽霊」の方が、はるかに良かった。
ところで、トーマス・マンについては、2013年~14年にひととおり読んでいます。
もちろん、「トニオ・クレーゲル」もすでに紹介しています。
「トニオ・クレーガー」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2013-10-24
ラストのクライマックスで、「ぼく」は「トニオ・クレーゲル」を手に旅をします。
この場面が良いです。本当に北杜夫は、「トニオ・クレーゲル」が好きなんですね。
さいごに。(奈良弾丸ツアー)
昨年12月、娘が修学旅行で奈良に行きながら寺を見なかったので、私は怒りました。
そこで、我が家では2月11日(日)に日帰りで、「追」の修学旅行を決行しました。
午前に法隆寺を、午後に興福寺と東大寺を回りましたが、日程が超ハードでした。
それでも娘は、教科書に載っている国宝を見ることができて、満足だったようです。