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緑の家2 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「緑の家 下」 バルガス=リョサ作 木村榮一訳 (岩波文庫)


 三つの場所で繰り広げられる五つの物語が、絡み合いながら展開する長編小説です。
 岩波文庫から上下二巻で出ています。読みにくい作品ですが、訳は分かりやすいです。


緑の家(下) (岩波文庫)

緑の家(下) (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/08/20
  • メディア: 文庫



 「この作品は、一見構成が解きほぐしがたいほど入り組んで見えるが、読み進むにつ
 れてそれまでまったく脈絡を欠いているかに見えた個々の断章、エピソードが互いに
 結びつき、照応し合って、やがて作品の全体像が浮かび上がるという仕掛けになって
 いる。」(訳者解説)

 と述べられていますが、私の場合、そんな素敵な変化はなかなか起こりませんでした。
 それぞれの断章は、結びつきもせず、照応し合いもせず、全体像は全く見えません。

 まるでトランプの神経衰弱です。あのカードは何だっけ? このカードは何だっけ?
 次から次に開けられるカードを、覚えていくことができず、頭は混乱するばかりです。

 それでも私は、この洞窟の迷路からようやく抜け出しました。それは、なぜか?
 下巻の途中で、「訳者解説」を読んだからです。(邪道だと言うなら言え! 笑)

 そうしなかったら、緑の家が二つ存在したなんて、分からなかったかもしれない。
 アンセルモとラ・チェンガの関係も、最後まで分からなかったかもしれない。

 特にP478~P481を読むと、物語の構成が分かり、頭の中がだいぶ整理されました。
 もっと早く「訳者解説」に書かれたあらすじを、読んでしまえばよかった!

 私は、分かりやすく書かれていることが、優れた文学の重要な条件だと考えています。
 また、優れた文学は、込み入ったことも、分かりやすく書かれていると考えています。

 確かに「緑の家」は面白い物語でした。しかし、芸術的に優れていたでしょうか?
 この作品はあまりにも技巧に走りすぎて、「遊び」になってしまったのではないか?

 そういう意味で、「ラテンアメリカ十大小説」の中の記述は、的確だと思います。
 「緑の家」を、ジグソー・パズルという「遊び」で、たとえているので。

 「読み進むうちに個々の断章がジグソー・パズルのピースのように徐々に組み上がっ
 て行き、少しずつ全体像が浮かび上がってきます。」(P133)

 私は、5つの物語は、時間軸にそって書かれた方が、はるかに良かったと思います。
 バラバラになったジグソーパズルからは、文学の面白さが得られにくかったです。

 だからこそ、ラテンアメリカ文学ブームは、急に衰退してしまったのかもしれません。
 「緑の家」を読む人も、2000ピースのパズルをやる人も、よほど物好きな人ですよ。

 と、自分の読解力の無さを棚に置いて、否定的なことばかり書いてしまいました。
 が、南米の雑多な社会に迷い込む感覚を味わいたい人には、断然オススメの作品です。

 バルガス=リョサの作品はハズレなしだと、どこかで聞いたことがあります。
 「ラ・カテドラルでの対話」と「密林の語り部」は、ぜひ読んでみたいです。


ラ・カテドラルでの対話(上) (岩波文庫)

ラ・カテドラルでの対話(上) (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2018/06/16
  • メディア: 文庫



密林の語り部 (岩波文庫)

密林の語り部 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/04/20
  • メディア: Kindle版



 さいごに。(凝りもせず)

 娘がいまだに、友達へのプレゼントに迷っていたので、つい口を挟んでしまいました。
 「おかしにしたら?」 おかしなら、外したとしても、家族の誰かが食べるでしょう。

 「パパがおかしを食べたいだけでしょ!」と、言われました。
 いえいえ、まごころからアドバイスをしているのですけど・・・

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