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石蹴り遊び2 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「石蹴り遊び 下」 コルタサル作 土岐恒二訳 (集英社文庫)


 絶対的なものを求めて彷徨する、アルゼンチン青年オリベイラを描いた長編小説です。
 全155章、三部構成です。いくつもの読み方ができるという、唯一無二の作品です。


石蹴り遊び(下) (ラテンアメリカの文学) (集英社文庫)

石蹴り遊び(下) (ラテンアメリカの文学) (集英社文庫)

  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1995/01/20
  • メディア: 文庫



 第二部「こちら側から」に入ると、舞台はパリからブエノスアイレスに移ります。
 オリベイラは旧友トラベラーを頼り、その妻タリタと、三人暮らしが始まります。

 ところが、書いてある内容が曖昧で、どうもよく分からないのです。
 しばらくのちにオリベイラは、精神病院で生活を始めているようだし・・・

 「わたしはわたしなり、わたしは彼なり。わたしたちはあり、しかしわたしたちは
 わたしなり、まず第一にわたしはわたしなり、わたしは守りとおすであろう、力の
 及ぶかぎり、わたしであることを。」(下巻P39)

 そして、「分身」とか「相棒(ドッペルゲンガー)」とかいう言葉が頻出します。
 さらに、次のようなイミシンな会話が突如現れます。

 「あれがタリタだということはぼくも知っているけど、ちょっと前にはあれはラ・
 マーガだったんだ。彼らは二人なんだよ、ぼくらのように」(下巻P136)

 いったい、どういうことなのか? オリベイラは、どうなってしまったのか?
 もやもやします。ネタバレで詳しいあらすじがあったら、ありがたいのですが。

 第26章や第31章には、オリベイラについて、こんなことが書かれていました。
 今振り返ってみると、なかなかイミシンな言葉です。

 「彼は、パリのどこかに、ある日、ある死、あるいはある出会いの中に、ひとつの
 鍵があるのではないかと考えて、それを狂気のように探しています。」(P211)

 「なにかって言うとあなたは探しものばかりしていましたが、あなたの探していた
 ものはポケットの中に入っていたんだっていう気がするんですよ」(P300)

 絶対的な真理を、あちこち探しまわったが、そんなものは見つからなかった、
 それは、分身であるもう一人が握っているのだ、ということでしょうか?

 さて、改めて物語を思い返して、三分の一ほどしか理解できなかったと思いました。
 結末がどうなったのかさえ、私には分かりませんでした。あーあ。

 この作品にはいろいろな仕掛けがあるので、ぜひ読んで確かめてみてと言われます。
 実際に読んでみたけど難しくて、その仕掛けに私は気づきませんでした。あーあ。

 自分の理解力の無さを棚に上げて言うなら、これは文学ではなく、「遊び」ですよ。
 まさにタイトル通り、人をあっちこっちに連れまわす「石蹴り遊び」なのです。

 そういえば誰かがレビューに、この作品について書いていました。
 「この本はゲームブックのはしりだ」と。ゲームブック! うまいことを言う。

 ゲームブックが廃れたように、この作品も今ではほとんど顧みられなくなりました。
 文庫本が復刊される見込みは少ないでしょう。そういう意味でこれは貴重な本です。

 私は2000円と少し出して、中古でこの本を上下二冊購入しました。
 しかし今では、「コルタサルは短編」と割り切ることをオススメします。

 さいごに。(腹筋を2週間で)

 陸上仲間の友人に、「Get abs in 2 WEEKS」という動画を紹介されました。
 女性用だというので、気軽にやってみたのですが、たいへんでたいへんで・・・

 わずか10分ですが、へとへとになります。というか、最後までできません。
 → https://www.bing.com/videos/search?q=get+abs+in+2weeks&&view=detail&mid=A51718C0D63A328F6609A51718C0D63A328F6609&&FORM=VRDGAR&ru=%2Fvideos%2Fsearch%3Fq%3Dget%2520abs%2520in%25202weeks%26qs%3Dn%26form%3DQBVRMH%26sp%3D-1%26pq%3Dget%2520abs%2520in%25202weeks%26sc%3D0-17%26sk%3D%26cvid%3D83170AD0E0784B47A4670DE83C8DE13C

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石蹴り遊び1 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「石蹴り遊び 上」 コルタサル作 土岐恒二訳 (集英社文庫)


 絶対的なものを求めて彷徨する、アルゼンチン青年オリベイラを描いた長編小説です。
 1963年に出てブームを巻き起こしました。いくつもの読み方が可能な、問題作です。

 1995年に集英社文庫から出ましたが、現在は絶版。中古は、上下で4000円ほどです。
 私は上下二冊を2000円ちょいで手に入れました。訳は比較的分かりやすかったです。
 

石蹴り遊び(上) (ラテンアメリカの文学) (集英社文庫)

石蹴り遊び(上) (ラテンアメリカの文学) (集英社文庫)

  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 1995/01/20
  • メディア: 文庫



 この小説は全155章あり、三部構成となっています。
 そして、いくつもの読み方ができる点が、最大の特徴となっています。
 
 第一部「向こう側から」は、第1章から第36章までで、舞台はフランスのパリです。
 主人公オリベイラと、シングルマザーのラ・マーガとの、愛と別れが描かれています。

 第二部「こちら側から」は、第37章から第56章までで、舞台はブエノスアイレス。
 故国に帰ったオリベイラは、親友トラベラーとその妻タリタと、三角関係になります。

 第三部「その他もろもろの側から」は、第57章から第155章までです。
 新聞記事、メモ、何かの引用など、雑多な断章が、一見無意味に集められています。

 さて、作品の冒頭に、作者は「指定表」なるものを置いています。
 そして、次の二通りの読み方のうち、いずれか一方を選択するよう述べています。

 第1の読み方は、普通の方法に従って、第一部から第二部まで読むというものです。
 その場合、第三部の雑多な断章は、「なんの未練もなく放り出して」もよいと言う。

 第2の読み方は、第73章から始めて1、2、116、3、84、4、71・・・というように、
 指定表の順序に従って、第三部の断章を挟み込みながら読んでいくというものです。

 もちろん私は、第2の方法を選択しました。第三部を切り捨てるなんてできません。
 いったい、第1の方法を取る人がいるのでしょうか?

 ところが読み始めてすぐ、私は挫折しそうになりました。意味が分からないのです。
 そもそも登場人物らは、なんだか人を煙に巻いたようなことばかりを言っています。

 「絶対ってなんなの、オラシオ?」
 「いいかい」とオリベイラは言った。「それは煎じ詰めればなにかがその深さの極限、
 その射程の極限、その意味の極限に到達してしまい、面白味を完全に失ってしまう瞬
 間のことさ」(P66)

 「ものの事物性ってなに?」とラ・マーガが尋ねた。
 「ものの事物性というのは、われわれの推測の終るところにわれわれの罰が始まると
 いうあの不愉快な感情のことです。」(P108)

 こういう会話があちこち散乱している上に、第三部の雑多な断章が紛れ込むのです。
 ひどすぎて引用できません。たとえば第68章や第96章などを読んでみてください。 

 しかし、突然こういう断章に飛ぶところが、「石蹴り遊び」たるゆえんなのでしょう。
 蹴った石が変な場所へ飛び、新しい展開が始まる点こそ、その醍醐味かもしれません。

 それに第三部には、意外と大事な場面が混ざっているのです。いわば、玉石混淆です。
 特に最後の第154章と第155章は、この作品のネタばらし的な部分でとても重要です。

 現在、第2の方法で、第一部を(第36章まで)読みました。まだ全体の6割ほどです。
 正直に言って、私は、ここまでの物語の半分ほどしか理解できていないと思います。

 では、ほかの人たちはどんなふうにこの本を読んでいるのでしょうか。
 そこでようやく、「ラテンアメリカ十大小説」にあった読み方を思い出しました。

 そこで勧めているのは、最初に第1の方法で読んで次に第2の方法で読むという方法。
 そうすると、第2の方法で読んでいるとき、全く新しい景色に出会うのだそうです。

 なるほど! 私もそうしたかった。
 しかし、今更もう一度この作品を読み直す気力なんて、とてもありません。あーあ。

 さいごに。(半沢直樹、面白すぎ)

 半沢直樹にはまっています。実に面白い。何年かぶりに、ドラマを毎週見ています。
 どんな苦境も諦めずに全力で乗り切るところが、かっこいいです。元気をもらえます。

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ブラス・クーバスの死後の回想 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「ブラス・クーバスの死後の回想」
 マシャード・ジ・アシス作 武田千香訳 (古典新訳文庫)


 死んでから作家となったブラス・クーバスが、生涯を振り返って書いた回想録です。
 作者はブラジルで最も有名な作家のひとりです。1881年に出た本書は代表作です。


ブラス・クーバスの死後の回想 (光文社古典新訳文庫)

ブラス・クーバスの死後の回想 (光文社古典新訳文庫)

  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2013/12/20
  • メディア: Kindle版



 「わたし」ブラス・クーバスは、1869年8月に自分の屋敷で息を引き取りました。
 死後、どういうわけか作家となり、64年の生涯を160の断章で綴っていきます。

 死んだ日のこと、死の直前の幻想、誕生、家族のこと、子供のころの思い出・・・
 マルセーラ、エウジェニア、そして、自分と結婚するはずだったヴィルジニア・・・

 この作品は「小説の常識を覆す小説」「小説に挑戦した小説」などと紹介されます。
 というのも、各断章はユニークで、とりとめのないつながり方をしているからです。

 「七十一章 本の欠点」では、前章までの話の流れは、どこかにいってしまいます。
 そして「この本のことを後悔している」と話し始めますが、これがなかなか面白い。

 「なぜなら、本書の最大の欠点は、読者よ、あなただからだ。
 あなたは老いを急ぐが、本の歩みはのろのろしている。」

 「百三十九章 いかに国務大臣にならなかったかについて」は、なんと、空白です。
 理由は次章で「物事には沈黙で語ったほうがいいことがある。」と説明されています。

 さて、この作品の命は、死者が生涯を語り出すという奇抜な発想にあります。
 私はとても期待したのですが、しかし、彼の人生自体は、まったく普通でした。

 ちょっとお金がある男が、結婚もせず、成功もせず、ぐだぐだと生きています。
 人生唯一のヤマ場は、ヴィルジニアとの不倫話ですが、劇的な展開はありません。

 自分が死霊となって出現することもなく、他の死者を蘇らせることもありません。
 これでは、死者が作者となった意味が、ほとんどないのではないでしょうか?

 ところで、この作品は細切れなので、読みやすかったです。訳も分かりやすいです。
 章ごとにページが変わるので余白が多くて、分量が多いわりにサクサク進みました。

 なお、マシャード・ジ・アシスの作品は、現在ほとんど出ていないので貴重です。
 古典新訳文庫からは、さらにもう一つの代表作「ドン・カズムッホ」も出ました。


ドン・カズムッホ (光文社古典新訳文庫)

ドン・カズムッホ (光文社古典新訳文庫)

  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2014/09/26
  • メディア: Kindle版



 さいごに。(娘の大会)

 中学2年生の娘の、陸上競技の大会が行われましたが、見に行けませんでした。
 厳重なコロナ対策のため、3年生の保護者以外は、入場禁止となったからです。

 これは、仕方ありません。高校の方は、無観客でやっていましたから。
 ちなみに娘は、走高跳に出て記録なし。最初の1m25が跳べなかったのだそうです。

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密林の語り部 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「密林の語り部」 バルガス=リョサ作 西村英一郎訳 (岩波文庫)


 アマゾンの密林に入り込み、先住民の語り部となった、ユダヤ人青年の物語です。
 1987年に出ました。80年代の作者の代表作です。実験的な手法で描かれています。


密林の語り部 (岩波文庫)

密林の語り部 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/10/15
  • メディア: 文庫



 「私」は、フィレンツェのある画廊で、アマゾンの密林の写真展を見ました。
 マチゲンガ族の輪の中心にいる、ひとりの語り部の姿を見て、戦慄が走りました。

 写っていたのは、大学時代の親友、ユダヤ人のサウル・スラータスではないのか?
 彼は、未開の先住民文化に深く傾倒し、あるとき忽然と姿を消していたが・・・

 さて、この小説も、最初はなかなか手強かったです。
 第1章と第2章は良かったのですが、第3章に入ると訳が分からなくなりました。

 「その後、地上の人々は、太陽が落ちていくほうへまっすぐ歩きはじめた。昔は、
 人々もじっとしていた。天の眼である太陽は動かなかった。眠ることもなく、いつ
 も眼を開けて、私たちを見つめ、世界を眺めていた。」(P53)

 いったい、何の話が始まっちゃったんだ? しかし、もう私は慌てません。
 「訳者あとがき」を、さっさと読んでしまえばいいのです。

 構成は全8章。第1章と第8章に挟まれた6章は、対位法的に配されていると言う。
 そして、3・5・7の奇数章は、語り部が話している神話や伝説なのだそうです。

 なるほど。だから、なんだかよく分からないのか。
 語り部の話はあちこちに飛ぶし、でたらめなカタカナ語がやたら出てくるし・・・

 分からなくていいのだと、割り切ってからは、安心して読み進められました。
 しかし、この語り部の話こそが、この作品の命なのです。できれば、分かりたい。

 「悪戯者のカマガリーニがおちんちんを刺してからというもの、どのように、どうし
 て起こるか分からないが、タスリンチは、突然、思いついたことをせずにはいられな
 い。〈命令が聞こえてくる〉(中略)女をさらってきたのもその命令の一つだったよ
 うだ。」(P151)

 こういうとりとめのない話が、次から次に重ねられていきます。
 これを、「面白い」と思うか、「アホか」と思うかは、非常に微妙なところですね。

 「語り部が話すように話すとは、その文化のもっとも深奥のものを感じ、生きること
 であり、その底部にあるものを捉え、歴史と神話の神髄をきわめて、先祖からのタブ
 ーや言い伝えや、味覚や、恐怖の感覚を自分のものとすることだからだ。」(P333)

 「話す」ということは、その民族の文化の根源に関わることです。
 そういったことを、作者は最も言いたかったのではないでしょうか?

 さて、「密林の語り部」を読んだら、古代マヤの神話を読みたくなってきました。
 中公文庫から「マヤ神話ポポル・ヴフ」が出ています。この機会に読みたいです。


マヤ神話 ポポル・ヴフ (中公文庫)

マヤ神話 ポポル・ヴフ (中公文庫)

  • 出版社/メーカー: 中央公論新社
  • 発売日: 2016/04/21
  • メディア: 文庫



 2003年に出た「楽園への道」は、池澤夏樹の世界文学全集にも入っていました。
 バルガス=リョサの作品では、「楽園への道」がイチオシという人も多いです。


楽園への道 (河出文庫)

楽園への道 (河出文庫)

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2017/06/16
  • メディア: Kindle版



 さいごに。(第二波は?)

 再びコロナの感染者数が、じわじわと増えてきました。
 昨日はとうとう全国で350人。米国の5万人に比べたら全然ましですが・・・

 とにかく、しっかり予防して、これ以上増えないように気を付けたいです。
 それでも「第二波は来る」と言われているので、しっかり備えておかなければ。

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緑の家2 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「緑の家 下」 バルガス=リョサ作 木村榮一訳 (岩波文庫)


 三つの場所で繰り広げられる五つの物語が、絡み合いながら展開する長編小説です。
 岩波文庫から上下二巻で出ています。読みにくい作品ですが、訳は分かりやすいです。


緑の家(下) (岩波文庫)

緑の家(下) (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/08/20
  • メディア: 文庫



 「この作品は、一見構成が解きほぐしがたいほど入り組んで見えるが、読み進むにつ
 れてそれまでまったく脈絡を欠いているかに見えた個々の断章、エピソードが互いに
 結びつき、照応し合って、やがて作品の全体像が浮かび上がるという仕掛けになって
 いる。」(訳者解説)

 と述べられていますが、私の場合、そんな素敵な変化はなかなか起こりませんでした。
 それぞれの断章は、結びつきもせず、照応し合いもせず、全体像は全く見えません。

 まるでトランプの神経衰弱です。あのカードは何だっけ? このカードは何だっけ?
 次から次に開けられるカードを、覚えていくことができず、頭は混乱するばかりです。

 それでも私は、この洞窟の迷路からようやく抜け出しました。それは、なぜか?
 下巻の途中で、「訳者解説」を読んだからです。(邪道だと言うなら言え! 笑)

 そうしなかったら、緑の家が二つ存在したなんて、分からなかったかもしれない。
 アンセルモとラ・チェンガの関係も、最後まで分からなかったかもしれない。

 特にP478~P481を読むと、物語の構成が分かり、頭の中がだいぶ整理されました。
 もっと早く「訳者解説」に書かれたあらすじを、読んでしまえばよかった!

 私は、分かりやすく書かれていることが、優れた文学の重要な条件だと考えています。
 また、優れた文学は、込み入ったことも、分かりやすく書かれていると考えています。

 確かに「緑の家」は面白い物語でした。しかし、芸術的に優れていたでしょうか?
 この作品はあまりにも技巧に走りすぎて、「遊び」になってしまったのではないか?

 そういう意味で、「ラテンアメリカ十大小説」の中の記述は、的確だと思います。
 「緑の家」を、ジグソー・パズルという「遊び」で、たとえているので。

 「読み進むうちに個々の断章がジグソー・パズルのピースのように徐々に組み上がっ
 て行き、少しずつ全体像が浮かび上がってきます。」(P133)

 私は、5つの物語は、時間軸にそって書かれた方が、はるかに良かったと思います。
 バラバラになったジグソーパズルからは、文学の面白さが得られにくかったです。

 だからこそ、ラテンアメリカ文学ブームは、急に衰退してしまったのかもしれません。
 「緑の家」を読む人も、2000ピースのパズルをやる人も、よほど物好きな人ですよ。

 と、自分の読解力の無さを棚に置いて、否定的なことばかり書いてしまいました。
 が、南米の雑多な社会に迷い込む感覚を味わいたい人には、断然オススメの作品です。

 バルガス=リョサの作品はハズレなしだと、どこかで聞いたことがあります。
 「ラ・カテドラルでの対話」と「密林の語り部」は、ぜひ読んでみたいです。


ラ・カテドラルでの対話(上) (岩波文庫)

ラ・カテドラルでの対話(上) (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2018/06/16
  • メディア: 文庫



密林の語り部 (岩波文庫)

密林の語り部 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2017/04/20
  • メディア: Kindle版



 さいごに。(凝りもせず)

 娘がいまだに、友達へのプレゼントに迷っていたので、つい口を挟んでしまいました。
 「おかしにしたら?」 おかしなら、外したとしても、家族の誰かが食べるでしょう。

 「パパがおかしを食べたいだけでしょ!」と、言われました。
 いえいえ、まごころからアドバイスをしているのですけど・・・

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緑の家1 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「緑の家 上」 バルガス=リョサ作 木村榮一訳 (岩波文庫)


 三つの場所で繰り広げられる五つの物語が、絡み合いながら展開する長編小説です。
 作者はラテンアメリカ文学ブームを牽引した一人で、ペルー初のノーベル賞作家です。


緑の家(上) (岩波文庫)

緑の家(上) (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/08/20
  • メディア: 文庫



 シスターと治安警備隊は、密林のインディオの集落で、少女たちを連れ去りました。
 拉致した少女たちを、サンタ・マリーア・デ・ニエバの尼僧院で教育しているのです。

 尼僧院で働くボニファシアは、彼女たちを可哀そうに思って、故意に逃がしました。
 そのため、僧院を追われることになり・・・

 あるときピウラに流れてきたアンセルモという男は、町の人々と親しくなりました。
 しばらくして彼は、砂漠の土地に「緑の家」を建てましたが、その家は・・・

 フシーアという日本人は、これまでさまざまな場所で、悪事を働いてきました。
 今は、旧友アキリーノのボートに乗り、昔を思い出しながら、奥地へ向かい・・・

 現在、上巻を読み終わったところです。
 ラテンアメリカ文学特有の、わざと分かりにくくしたような展開に苦しんでいます。

 「五つの物語が絡み合いながら展開する」ということを、どこかで聞いていました。
 しかし私は、恥ずかしながら、3つの物語しか判別できませんでした。

 1つは「尼僧院とボニファシアの物語」。1つは「緑の家とアンセルモの物語」。
 1つは「フシーアの語る昔の物語」。その他の物語が、よく分からないのです。

 ほかにもいろんな人物が登場しますが、ごちゃごちゃしていて整理しきれません。
 読んでいるうちに、さまざまな矛盾にぶつかり、私は頭を抱えています。

 たとえば、尼僧院にいたボニファシアは、密林の奥で、前触れなく姿を見せます。
 また、緑の家を繁盛させていたアンセルモは、いつのまにか盲目になっています。

 行政官と呼ばれる男は、ある場面ではファビオで、ある場面ではレアテギです。
 どうやらそれぞれの場面で、時間の隔たりがあるようだとは分かるのですが・・・

 「地図を作った連中はこのアマゾン地方が片時もじっとしていない、燃えるような
 女みたいなものだってことが分かってないんだ。ここでは、川も木も生き物もすべ
 てその姿を変えてゆく。わしたちが住んでいるのは狂った大地なんだよ。」(P84)

 これは、アキリーノがフシーアに語った、印象的な言葉です。
 私は、この物語自体も、じっとしていないアマゾンの密林のように感じました。

 私も歩くたびにつるに足を取られ、気づいたら同じ場所を何度も回っていました。
 作者は、意図的に私たちを、物語の密林に迷い込ませようとしているようです。

 コロナ休業で比較的時間があるときなら、多少の回り道もいいでしょう。
 読書時間がほとんど取れない今、「もっと分かりやすく書いてくれ」と思います。

 しかし、この作品を「ワクワクしながら読んだ」と記すレビューも目立ちます。
 下巻に入ってから、その面白さが理解できるようになればいいのだけれども・・・

 さいごに。(娘にアドバイスしても)

 中2の娘が、友達の誕生日のプレゼントに迷っていたので、アドバイスしました。
 「どんなものが欲しいか聞いてみたら?」と。分からないなら、聞けばいいのに。

 「パパは黙っていて!」と言われました。「女子はそういうもんじゃない」と。
 そうか。女子ってたいへんなんだなあ。私は男でよかったです。単純だから。

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アウラ フエンテス短編集 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「アウラ・純な魂 他四編」 フエンテス作 木村榮一訳 (岩波文庫)


 怪奇幻想小説の傑作「アウラ」を含む、カルロス・フエンテスの短編全6編です。
 1995年に岩波文庫から出ました。木村訳は、比較的読みやすいです。


フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇 (岩波文庫)

フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1995/07/17
  • メディア: 文庫



 冒頭の「チャック・モール」は、古代マヤの神像にまつわる不思議な物語です。
 ゴシック小説のように進みますが、途中からユーモア小説のような感じです。

 フィリベルトは、ある日骨董店で、雨の神チャック・モールの神像を買いました。
 その神像に命が芽生えて動き出し、しだいに人間生活に染まっていき・・・

 神像が蘇ったとき、いったい何が起こるか?
 古代マヤの尊い神は、人間社会に何をもたらすのか?

 という興味で読んでいましたが、途中からは、思わず笑ってしまう展開でした。
 最後の場面で、語り手がフィリベルトの家に行ったとき、出てきたのは?!

 最後を飾る「アウラ」は、フエンテスを代表するゴシック小説です。
 映画「雨月物語」や上田秋成の原作から、多くの影響を受けて作られたようです。 

 フェリーペ青年は、高額の報酬につられて、コンスエロ夫人の屋敷を訪ねました。
 60年前に亡くなったリョレンテ将軍の回想録をまとめるように、と依頼されました。

 ただし、住み込みという条件があり、フェリーペはそこから出ることができず・・・
 コンスエロ夫人には、緑色の服を着たアウラという美しい姪がいて・・・

 フェリーペは冥界に迷い込んだのではないか?
 コンスエロ夫人やアウラが行っていた秘儀には、どのような意味があるのか?

 コンスエロ夫人とアウラは、結局どういう関係だったのか?
 フェリーペとリョレンテ将軍は、いったいどういう関係にあったのか?

 物語には謎めいた言葉がちりばめられ、物語は謎めいた展開をします。
 結末もまた謎めいています。いろんな解釈ができて、非常に興味深い作品です。

 「アウラ」と並んでゴシック色が強い作品が、「女王人形」です。
 読み終わったときの、後味の悪さはピカイチですね。背筋が凍りつきます。

 子供の頃に読んだ本の中から、一枚のカードが出てきました。「アミラミアは
 友だちのことを忘れません。ここに書いてある場所へさがしに来てください」

 「僕」は思い出します。14歳の頃、7歳だった彼女といっしょに過ごした日々を。
 29歳になった今、カードに書かれた住所を頼りに、彼女を訪ねますが・・・

 出だしは、幼いころの恋がテーマなのかと思わせます。しかし、この後の展開は!
 彼女の屋敷で見た「女王人形」とは何か? 再訪したとき、「僕」は何を見たか?

 「純な魂」は、近親相姦的な兄妹愛による、悲劇的な物語です。
 最初は、4年ぶりに兄を迎えに行く妹を描いた、牧歌的な作品かと思いました。

 ところが読み進めていくうちに、まったく違う状況であることが分かってきます。
 結末まできて、悲劇の全貌が理解できます。これまたゴシック的な小説でした。

 この短編集は、「アウラ」「チャック・モール」「女王人形」「純な魂」など、
 ゴシック的な、とてもフエンテスらしい小説を収録した短編集となっています。

 しかし、その一方で、どこか中途半端な感じもします。
 というのも、「生命線」「最後の恋」など、長編の一部が含まれているからです。

 この二編に代わるゴシック小説は、無かったのでしょうか。
 この二編が、優れた短編であると認めつつも、やはり他の作品が欲しかったです。

 さいごに。(遠近両用で快調)

 しばらく前から、仕事で遠近両用メガネを使っています。とても便利です。
 いちいちメガネを外さなくても、資料を読むことができる点がすばらしい。

 私は、眼鏡市場で購入しています。遠近にしても追加料金なしというのが嬉しい。
 この店のイチオシは、なんと言っても「ゼログラ」です。掛け心地が抜群です。


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アルテミオ・クルスの死2 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「アルテミオ・クルスの死」 フエンテス作 木村榮一訳 (岩波文庫)

 一代で成り上がったアルテミオ・クルスの生涯と、その時代背景を描いた物語です。
 ラテンアメリカ文学ブームの先駆的作品です。昨年2019年に岩波文庫から出ました。


アルテミオ・クルスの死 (岩波文庫)

アルテミオ・クルスの死 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2019/11/16
  • メディア: 文庫



 すばらしい作品でした。「百年の孤独」級の衝撃を受けました。
 最後、アルテミオ・クルスの誕生と死が、混然一体となって終わるところがいい。

 さて、死を前にしてアルテミオ・クルスは、人生における12の場面を振り返ります。
 これらのエピソードは、朦朧とした意識によって、以下のように順不同で蘇ります。

 1 1941年7月(52歳) 妻カタリーナと買い物へ。アメリカ人との取引。
 2 1919年5月(30歳) カタリーナと結婚。
 3 1913年12月(24歳) メキシコ革命で、永遠の女レヒーナとの恋。
 4 1924年6月(35歳) カタリーナとの行き違い。国会議員選挙に出る。
 5 1927年11月(38歳) 政権交代における危機を乗り切る。
 6 1947年7月(58歳) リリアと過ごした休暇で、老いを感じる。
 7 1915年10月(26歳) メキシコ革命で敵軍に捕まるが、生き延びる。
 8 1934年8月(45歳) ラウラのアパートで過ごした一日。
 9 1939年2月(49歳) 息子ロレンソがスペイン内乱に参加し、戦死する。
 10 1955年12月(66歳) リリアと一緒に大パーティーを開く
 11 1903年1月(13歳) ルネーロと過ごした少年時代。出生のこと。
 12 1889年4月(0歳)  アルテミオが生まれる。

 これら12のエピソードは、おそらく彼にとって、人生で重要な場面だったのでしょう。
 これを、以下のように年齢順に並び直すと、アルテミオの人生の略図が見えてきます。

 1 1889年4月(0歳)  アルテミオが生まれる。
 2 1903年1月(13歳) ルネーロと過ごした少年時代。出生のこと。
 3 1913年12月(24歳) メキシコ革命で、永遠の女レヒーナとの恋。
 4 1915年10月(26歳) メキシコ革命で敵軍に捕まるが、生き延びる。
 5 1919年5月(30歳) カタリーナと結婚。
 6 1924年6月(35歳) カタリーナとの行き違い。国会議員選挙に出る。
 7 1927年11月(38歳) 政権交代における危機を乗り切る。
 8 1934年8月(45歳) ラウラのアパートで過ごした一日。
 9 1939年2月(49歳) 息子ロレンソがスペイン内乱に参加し、戦死する。
 10 1941年7月(52歳) 妻カタリーナと買い物へ。アメリカ人との取引。
 11 1947年7月(58歳) リリアと過ごした休暇で、老いを感じる。
 12 1955年12月(66歳) リリアと一緒に大パーティーを開く

 これら12のエピソードの中で、印象的だったのは、メキシコ革命時のものです。
 特に、24歳の時の、レヒーナとの熱い恋の場面は、涙なしには読めません。

 ふたりはどのようにして結ばれたのか? そして、どのように終わったのか?
 アルテミオ・クルスの人生で、レヒーナの存在は、いかに大きかったか!

 また、26歳の時の、敵軍の捕虜となる場面は、ちょっとした冒険小説です。
 銃殺刑の直前、アルテミオはどのように、九死に一生を得たのか?

 ここで彼は、初めて人を裏切り、自分を裏切りました。
 彼は、命拾いしたこの日に、生まれ変わったのかもしれません。

 こののち、アルテミオ・クルスは、純粋な革命家ではなくなってしまいます。
 やがて彼は、手を汚し、堕落し、その見返りとして、成り上がっていくのです。

 中で、もっともよく描けているエピソードは、リリアと過ごす休暇の場面です。
 これまで自信を持ってひたすら走ってきた彼が、不意に老いを感じて・・・

 この場面は「最後の恋」というタイトルで、「短編集」に収録されていました。
 人生の悲哀をしんみり味わうことのできる、秀逸な作品となっています。

 ほかに、フエンテスの作品で読みたいものに、「澄みわたる大地」があります。
 まだ文庫本になっていません。単行本を買って読むしかなさそうです。


澄みわたる大地

澄みわたる大地

  • 出版社/メーカー: 現代企画室
  • 発売日: 2012/03/01
  • メディア: 単行本



 さいごに。(月間「ムー」を買いたい)

 私は高校卒業と同時に、月間「ムー」も卒業し、かれこれ35年近くがたちました。
 ところが、2020年の7月号は久々に買いたい。特集が「松原照子の未来予言」なので。

 彼女は、トランプの勝利を当て、2020年の東京五輪が無いことを当てています。
 いったいどんな予言をしているのか。とても気になっています。


ムー 2020年 07 月号 [雑誌]

ムー 2020年 07 月号 [雑誌]

  • 出版社/メーカー: 学研プラス
  • 発売日: 2020/06/09
  • メディア: 雑誌



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アルテミオ・クルスの死1 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「アルテミオ・クルスの死」 フエンテス作 木村榮一訳 (岩波文庫)


 一代で成り上がったアルテミオ・クルスの生涯と、その時代背景を描いた物語です。
 1962年に出て、ラテンアメリカ文学ブームの口火を切ることとなった作品です。


アルテミオ・クルスの死 (岩波文庫)

アルテミオ・クルスの死 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2019/11/16
  • メディア: 文庫



 メキシコの経済界の大立者であるアルテミオ・クルスは、ある日突然倒れました。
 病の床にあって、時々朦朧としながらも、自分の生涯を少しずつ振り返ります。

 娘の結婚準備、妻への求婚、メキシコ革命、最愛の女とその死、妻とのすれ違い、
 富の獲得、地主との取引、敵軍の牢で出会った学士、九死に一生を得る・・・

 10~20ページの断章が集まってできているので、比較的読みやすいです。
 ただし、断章の語り口が次々に変わっていくので、最初は戸惑いました。

 1人称→2人称→3人称→1人称→2人称→3人称というように続いていきます。
 そして、この語り口の変化こそが、本作品を唯一無二のものとしている特徴です。

 1番目の断章は1人称の「わし」を使い、現在形で語られています。
 「わしは何々している」と語られ、死を目前にした男の内的独白となっています。

 2番目の断章は2人称の「お前」を使い、未来形で語られています。
 「お前は何々するだろう」と語られ、男の過去の行為を、予言的に表しています。

 3番目の断章は3人称の「彼」を使い、過去形で語られています。
 「彼は何々した」と語られ、男の人生を、神の視点から客観的に記しています。

 しかも、3人称の断章にだけ、冒頭に日付がきちんと記されています。
 まるで、この断章だけは正確に記した客観的事実なのだ、と言っているようです。

 これら「わし」「お前」「彼」は、すべてアルテミオ・クルスを指しています。
 アルテミオ・クルスのことが、さまざまな語り手によって、描かれているのです。

 では、語り手は誰なのか?
 矛盾するようですが、これまたすべて、アルテミオ・クルスのようなのです。

 「わし」と言ったときはもちろん、「お前」と呼びかけるときも、距離を置いて
 「彼」と語るときも、主体は同じアルテミオ・クルスのような気がするのです。

 「お前」と言うのは、混濁した意識から生じる、アルテミオの分身ではないのか?
 「彼」と言うのは、死後の世界から一生を振り返っている、自分ではないのか?

 さて、3人称の断章に記された日付は、時間軸にそっていません。
 それは、朦朧とした意識が、過去と現在を、あっちこっちに飛ぶからでしょう。

 この記憶の扱い方が、プルーストの「失われた時を求めて」に似ています。
 日付順にたどれば、分かりやすくなりますが、魅力は半減しそうです。

 ちなみに私は、1人称→2人称→3人称と続く3断章を、1セットと考えました。
 毎日3つの断章ずつ(1日約30ページ)読んだら、ちょうどよいペースでした。

 現在、ちょうど物語の半ばくらいまで読みました。
 読み慣れてくると、非常に面白いです。独特の語りに、ぐいぐい引き込まれます。

 特に引き込まれた部分は、若いころ革命軍に身を投じていたときのことです。
 強引にものにしたレヒーナを愛し、そして失ってしまう場面は、少し泣けました。

 所々で「レヒーナ」という呼びかけがあるたびに、読んでいて胸がうたれました。
 心にいつまでも存在する永遠のレヒーナ。しかし、それは誰にも明かせず・・・

 後半、ますます面白くなりそうです。このあとも物語から目が離せません。
 なお、フエンテス短編集が岩波文庫から出ていることを、今更ながら知りました。


フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇 (岩波文庫)

フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1995/07/17
  • メディア: 文庫



 さいごに。(ムーTシャツは?)

 ファッションセンターしまむらでは、時々月間ムーとのコラボ商品を出しています。
 今年も「ムーTシャツ」は、出るのでしょうか? 出たら絶対手に入れたい。

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ルゴーネス幻想短編集 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「アラバスターの壺・女王の瞳 ルゴーネス幻想短編集」
 ルゴーネス作 大西亮訳 (光文社古典新訳文庫)


 物理学、生物学、考古学など多岐にわたる知識を盛り込んで描いた、幻想小説集です。
 作者ルゴーネスは、ボルヘスやコルタサルへと続く、南米幻想文学の先駆者です。


アラバスターの壺/女王の瞳 ルゴーネス幻想短編集 (光文社古典新訳文庫)

アラバスターの壺/女王の瞳 ルゴーネス幻想短編集 (光文社古典新訳文庫)

  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2020/01/08
  • メディア: 文庫



 冒頭の「ヒキガエル」から、作者一流のおどろおどろしい世界に誘い込まれます。
 ある日「ぼく」が殺したヒキガエルを老いた女中に見せると、彼女は言いました。

 「焼き殺さないと生き返るってことも知らないのね?」
 そのあと女中が語った、ヒキガエルにまつわる恐ろしい話は・・・

 続く「カバラの実践」も、日常生活に、不可解なことが当然のように起こります。
 若き博物学者が、ガラスケースの中の女の骸骨に、戯れてこんなことを言いました。

 「愛すべきあなたという存在をよみがえらせるのです。」
 30分後、彼が眠りに落ちたあと、正面の椅子には若い女が座っていて・・・

 さて、この幻想小説集の全18編で、中心となるのが、タイトル作の二作でしょう。
 どちらも古代エジプトに関わり、古代文明ファンの私にはたまらない作品でした。

 「アラバスターの壺」は、カーナーヴォンの死とファラオの呪いを扱った物語です。
 カーナーヴォンは、ツタンカーメンの王墓発掘に、資金提供した実在の人物です。

 「いにしえの民は墓を守るために〈肉体を具えた霊〉を置いたのです。
 それは永遠に目覚めている復讐者です。」(P89)

 ツタンカーメンの部屋の外側には、アラバスター製の壺が二つ置かれていました。
 カーナーヴォンが、そのひとつの壺の栓を回すと、中から芳香と冷気が・・・

 「女王の瞳」は、「アラバスターの壺」の続編となっています。
 ツタンカーメンの王墓発掘で、命をとりとめたニールは、ある女と知り合い・・・

 なぜニールは死んだのか? シャイトという美貌の女は何者か?
 ハトシェプスト女王の鏡には何が映ったのか? 女王とシャイトの関係は?

 「いにしえの人々は、みずからが所有する品々のなかに、存在の根拠となる霊魂、
 すなわち〈分身〉が宿っていると考えていました。」(P128)・・・

 この二作と似た味わいがあるのが、シバの都にまつわる「ヌラルカマル」です。
 アルベルティ氏の指紋と、指輪に刻印された指紋が一致したのはなぜか?・・・

 私にとって、もっとも興味深かった物語は、「死んだ男」です。
 わずか6ページで、とても分かりやすく、少し笑えるお話です。

 ある村に、自分はすでに死んでいると思い込んでいる男がいて、「わたしは狂人な
 んかじゃありません。じつはもう三十年前から死んでいるのです。」と訴え・・・

 「円の発見」も面白かったです。チョークで描いた円から出ない狂人の話です。
 新任の医師は、彼が眠っている間に、チョークの円を消していったら・・・

 「ウィオラ・アケロンティア」は、毒を持つスミレを育てている庭師の物語です。
 「人間が発する〈ああ!〉という声は、じつは自然界の叫び声なのです」・・・

 ほか全18編、すべて短いながらも、たいへん印象的な作品ばかりでした。
 特にタイトル作となった二作は、絶対オススメです。

 さいごに。(体重計購入)

 コロナ太りという言葉があるそうです。最近、とても体が重くて重くて・・・
 5月の自粛期間に、競技場で練習できなくて、だいぶ体重が増えていました。

 例年この時期、65キロほどまで落ちているはずが、現在70キロ超ありました。
 さっそく、ネットで、タニタの体重計を購入しました。自分専用です。


タニタ 体重計 アナログ 大画面 ブラック HA-650 BK 見やすい大きな目盛版

タニタ 体重計 アナログ 大画面 ブラック HA-650 BK 見やすい大きな目盛版

  • 出版社/メーカー: タニタ(Tanita)
  • メディア: ホーム&キッチン



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