ゴドーを待ちながら [20世紀イギリス文学]
「ゴドーを待ちながら」 ベケット作 安堂信也・高橋康也訳 (白水Uブックス)
二人の浮浪者がゴトーという人物を待ちながら、ただ時間をつぶすだけの戯曲です。
1953年の初演と同時に賛否両論が巻き起こりました。不条理演劇の代表作です。
ハヤカワ演劇文庫に入ったら購入しようと思っていましたが、なかなか入りません。
白水Uブックスは新書です。1200円と比較的手ごろなので購入して読んでみました。
夕暮れどき田舎道の木の下で、浮浪者のエストラゴンとウラジーミルが出会いました。
二人はゴドーを待つ間、たわいもないおしゃべりをして過ごしますが・・・
ゴドーとは何者か? 気になりますが、ゴドーはいつまでたっても現れません。
それどころかエストラゴンもウラジーミルも、ゴトーが何者か知らないようなのです。
「もう行こう。」
「だめだよ。」
「なぜさ?」
「ゴドーを待つんだ。」
こうしてただただ無駄な時間が過ぎていき、最後までゴドーは現れないのです。
そこが、「不条理演劇の最高傑作」と言われるゆえんです。
さて、「ゴドー」は「ゴッド」のもじりだろうという有力な説があります。
「神の死のあとの時代に神もどきを待ち続ける現代人」という寓意があるのだとか。
ならば、木の前で待っているうちに、首を吊りたくなるという場面もイミシンです。
首吊りして死んで初めて彼らはゴドー(神?)に会える、ということでしょうか。
逆に言うと、我々は生きている以上、ゴドーに会えないということなのでしょうか。
「ツァラトゥストラ」同様、「神は死んだ」というメッセージが聞こえてきます。
「そうだ、この広大なる混沌の中で明らかなことはただ一つ、すなわち、われわれは
ゴドーの来るのを待っているということだ。」(P158)
しかし、ゴドーは本当にゴッドなのでしょうか。本当はいったい何者なのでしょうか。
ところが、ゴドーが何者なのかは、ベケット自身も知らなかったとも言われています。
「ゴドーは誰か」と聞かれた時、ベケットは次のように答えたのだそうです。
「知っていたら作品の中に書いたでしょう」(解題より)
「それより、あした首をつろう。(間)ゴドーが来れば別だが。」
「もし来たら?」
「わたしたちは救われる。」(P195)
やっぱりゴドーは、神か救世主を象徴しているのでしょうか。
いや、意味がありそうで、実は何の意味もない、ということも充分考えられます。
さいごに。(アイスの御褒美)
先日娘は、陸上教室に参加するため、11キロ離れた競技場まで自転車で往復しました。
1時間以上かかって競技場に到着したら、すでに暑さと疲労でフラフラだったと言う。
しかしそれから3時間以上の練習に耐え、また1時間以上かけて帰ってきました。
その日は特別に、サーティワンに娘を連れて行って、アイスを食べさせました。
二人の浮浪者がゴトーという人物を待ちながら、ただ時間をつぶすだけの戯曲です。
1953年の初演と同時に賛否両論が巻き起こりました。不条理演劇の代表作です。
ハヤカワ演劇文庫に入ったら購入しようと思っていましたが、なかなか入りません。
白水Uブックスは新書です。1200円と比較的手ごろなので購入して読んでみました。
夕暮れどき田舎道の木の下で、浮浪者のエストラゴンとウラジーミルが出会いました。
二人はゴドーを待つ間、たわいもないおしゃべりをして過ごしますが・・・
ゴドーとは何者か? 気になりますが、ゴドーはいつまでたっても現れません。
それどころかエストラゴンもウラジーミルも、ゴトーが何者か知らないようなのです。
「もう行こう。」
「だめだよ。」
「なぜさ?」
「ゴドーを待つんだ。」
こうしてただただ無駄な時間が過ぎていき、最後までゴドーは現れないのです。
そこが、「不条理演劇の最高傑作」と言われるゆえんです。
さて、「ゴドー」は「ゴッド」のもじりだろうという有力な説があります。
「神の死のあとの時代に神もどきを待ち続ける現代人」という寓意があるのだとか。
ならば、木の前で待っているうちに、首を吊りたくなるという場面もイミシンです。
首吊りして死んで初めて彼らはゴドー(神?)に会える、ということでしょうか。
逆に言うと、我々は生きている以上、ゴドーに会えないということなのでしょうか。
「ツァラトゥストラ」同様、「神は死んだ」というメッセージが聞こえてきます。
「そうだ、この広大なる混沌の中で明らかなことはただ一つ、すなわち、われわれは
ゴドーの来るのを待っているということだ。」(P158)
しかし、ゴドーは本当にゴッドなのでしょうか。本当はいったい何者なのでしょうか。
ところが、ゴドーが何者なのかは、ベケット自身も知らなかったとも言われています。
「ゴドーは誰か」と聞かれた時、ベケットは次のように答えたのだそうです。
「知っていたら作品の中に書いたでしょう」(解題より)
「それより、あした首をつろう。(間)ゴドーが来れば別だが。」
「もし来たら?」
「わたしたちは救われる。」(P195)
やっぱりゴドーは、神か救世主を象徴しているのでしょうか。
いや、意味がありそうで、実は何の意味もない、ということも充分考えられます。
さいごに。(アイスの御褒美)
先日娘は、陸上教室に参加するため、11キロ離れた競技場まで自転車で往復しました。
1時間以上かかって競技場に到着したら、すでに暑さと疲労でフラフラだったと言う。
しかしそれから3時間以上の練習に耐え、また1時間以上かけて帰ってきました。
その日は特別に、サーティワンに娘を連れて行って、アイスを食べさせました。