グアテマラ伝説集 [20世紀ラテンアメリカ文学]
「グアテマラ伝説集」 M・A・アストゥリアス作 牛島信明訳 (岩波文庫)
西欧的な合理主義とはかけ離れた、古代マヤの世界観を反映した幻想的な物語集です。
1930年に出したことで、アストゥリアスは、魔術的リアリズムの開祖となりました。
アストゥリアスはグアテマラにおいて、白人の父とインディオの母から生まれました。
政権ににらまれた父が判事の職を追われたため、一家は祖父の住む田舎へ移りました。
アストゥリアス少年は、そこでインディオたちと交流し、マヤ神話を知りました。
この体験があったからこそ、のちにパリへ脱出した彼は、マヤ神話を研究したのです。
そして、マヤの神話や伝説を取り入れて創作されたのが、「グアテマラ伝説集」です。
フランス語版を読んだヴァレリーが、「熱帯の悪夢」と言って絶賛したのは有名です。
「そして一人ぼっちになった時、彼はあの『言葉』—ある世紀に、幾世紀も続いた1日
があった—を生きたのだ。
終始真昼である1日、夕暮れも曙もなく澄みわたった、無垢の結晶の1日。」
以上は、「火山の伝説」からの一節です。「幾世紀も続いた1日」という表現がいい。
まさに、「魔術的」です。こういう不思議で魅力的な語句が、至る所で見られます。
というか、こういう魔術的な文章ばかりが、「これでもか」と積み重ねられています。
だから、読んでいて頭がくらくらします。結果、非常に難解な作品となっています。
かろうじて大筋を理解したのは、「火山の伝説」と「大帽子の男の伝説」の二作です。
しかしどちらも、「どうしてそうなるの?」「だから、何?」と言いたくなりました。
一方、腹が立つほど分からなかったのが、「ククルカン――羽毛に覆われた蛇」です。
これは戯曲ですが、そのひどさは言葉にできません。冒頭部は、こんな感じです。
ククルカン :わたしは太陽のごときもの!
グワカマーヨ:クワック?
ククルカン :わたしは太陽のごときもの!
グワカマーヨ:クワック?…クワック?
ククルカン :わたしは太陽のごといもの!
グワカマーヨ:アククワック、クワック?
ククルカン :わたしは太陽のごときもの!
グワカマーヨ:あなたは太陽だ、アククワック、
この冒頭で面喰い、私は結局この作品を投げ出しました。
これと似たネタが一つあります。ドリフのコント、しむらの「耳の遠い神様」です。
カトちゃん:あなた、神様でしょ?
し む ら:なんだって?
カトちゃん:あなた、神様でしょ?
し む ら:なんだって?
カトちゃん:あなた、神様でしょ?
し む ら:とんでもねえ! あたしゃ、神様だよ!
(先日コロナによる肺炎で亡くなった志村けんさんの、ご冥福をお祈りいたします。
私たち世代にとっては、笑いの神様的存在でした。)
こういう具合なので、「グアテマラ伝説集」は誰にでも勧められる本ではありません。
図書館で「『大帽子の男』の伝説」を読んで、興味を持ったら借りてください。
アストゥリアスは、こののちグアテマラに帰り、「大統領閣下」を執筆し始めます。
「大統領閣下」は、「グアテマラ伝説集」に比べて、とても読みやすくて面白いです。
さいごに。(笑いの師匠Oさん)
職場にOさんという人がいて、この人のダジャレが私の笑いのツボにはまっています。
Oさんの言ったダジャレを、時々家で話すのですが、妻と娘は全く笑ってくれません。
職場でも、本当に心から笑っているのは、私だけのようだと、最近気付きました。
というか、本気で笑っている私を見て、笑っている人もいるような・・・
西欧的な合理主義とはかけ離れた、古代マヤの世界観を反映した幻想的な物語集です。
1930年に出したことで、アストゥリアスは、魔術的リアリズムの開祖となりました。
アストゥリアスはグアテマラにおいて、白人の父とインディオの母から生まれました。
政権ににらまれた父が判事の職を追われたため、一家は祖父の住む田舎へ移りました。
アストゥリアス少年は、そこでインディオたちと交流し、マヤ神話を知りました。
この体験があったからこそ、のちにパリへ脱出した彼は、マヤ神話を研究したのです。
そして、マヤの神話や伝説を取り入れて創作されたのが、「グアテマラ伝説集」です。
フランス語版を読んだヴァレリーが、「熱帯の悪夢」と言って絶賛したのは有名です。
「そして一人ぼっちになった時、彼はあの『言葉』—ある世紀に、幾世紀も続いた1日
があった—を生きたのだ。
終始真昼である1日、夕暮れも曙もなく澄みわたった、無垢の結晶の1日。」
以上は、「火山の伝説」からの一節です。「幾世紀も続いた1日」という表現がいい。
まさに、「魔術的」です。こういう不思議で魅力的な語句が、至る所で見られます。
というか、こういう魔術的な文章ばかりが、「これでもか」と積み重ねられています。
だから、読んでいて頭がくらくらします。結果、非常に難解な作品となっています。
かろうじて大筋を理解したのは、「火山の伝説」と「大帽子の男の伝説」の二作です。
しかしどちらも、「どうしてそうなるの?」「だから、何?」と言いたくなりました。
一方、腹が立つほど分からなかったのが、「ククルカン――羽毛に覆われた蛇」です。
これは戯曲ですが、そのひどさは言葉にできません。冒頭部は、こんな感じです。
ククルカン :わたしは太陽のごときもの!
グワカマーヨ:クワック?
ククルカン :わたしは太陽のごときもの!
グワカマーヨ:クワック?…クワック?
ククルカン :わたしは太陽のごといもの!
グワカマーヨ:アククワック、クワック?
ククルカン :わたしは太陽のごときもの!
グワカマーヨ:あなたは太陽だ、アククワック、
この冒頭で面喰い、私は結局この作品を投げ出しました。
これと似たネタが一つあります。ドリフのコント、しむらの「耳の遠い神様」です。
カトちゃん:あなた、神様でしょ?
し む ら:なんだって?
カトちゃん:あなた、神様でしょ?
し む ら:なんだって?
カトちゃん:あなた、神様でしょ?
し む ら:とんでもねえ! あたしゃ、神様だよ!
(先日コロナによる肺炎で亡くなった志村けんさんの、ご冥福をお祈りいたします。
私たち世代にとっては、笑いの神様的存在でした。)
こういう具合なので、「グアテマラ伝説集」は誰にでも勧められる本ではありません。
図書館で「『大帽子の男』の伝説」を読んで、興味を持ったら借りてください。
アストゥリアスは、こののちグアテマラに帰り、「大統領閣下」を執筆し始めます。
「大統領閣下」は、「グアテマラ伝説集」に比べて、とても読みやすくて面白いです。
さいごに。(笑いの師匠Oさん)
職場にOさんという人がいて、この人のダジャレが私の笑いのツボにはまっています。
Oさんの言ったダジャレを、時々家で話すのですが、妻と娘は全く笑ってくれません。
職場でも、本当に心から笑っているのは、私だけのようだと、最近気付きました。
というか、本気で笑っている私を見て、笑っている人もいるような・・・