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世界文学の流れをざっくりとつかむ22 [世界文学の流れをざっくりとつかむ]

≪第六章≫ ルネサンス期から十七世紀の文学

 2 フランスルネサンス文学

 ルネサンス期にヨーロッパ文化の先頭を走っていたイタリアは、16世紀の前半にカトリック教会による対抗宗教改革の影響を受けて、衰退に向かいました。その後のルネサンス文化の中心となったのは、イタリアルネサンス文化を積極的に取り入れていたフランスでした。特に、フィレンツェ生まれのカトリーヌ・ド・メディシスが、1533年にアンリ2世の王妃となると、フランスのルネサンス文化熱はいっそう高まりました。フランス語訳「デカメロン」が流行し、16世紀中頃にはその模倣である「エプタメロン」が、マルグリット・ド・ナヴァルによって書かれました。

 フランスルネサンス文学を代表する文学者は、フランソワ・ラブレーです。彼は、前半生を修道院で過ごし、哲学・神学のほかギリシア語を研究しました。この時期のギリシア古典の研究が、ラブレーの人文主義者としての基礎を作りました。転身して医者として働いていたある日、版元から当時ベストセラーとなっていた小冊子「ガルガンチュア大年代記」の続編を書くよう勧められました。そこで、まだ発展途上だったフランス語を使って「パンタグリュエル物語」を書き上げました。

 1532年に書かれた「パンタグリュエル物語」と、1534年に書かれた「ガルガンチュア物語」は、巨人を主人公にした荒唐無稽な物語です。ラブレーは膨大な知識を駆使し、効果的に古典を引用して、既存の社会を風刺しました。これらの作品は、教会の権威を貶めたことで、禁書目録に入れられましたが、たいへん評判になりました。のちに「第三の書」「第四の書」「第五の書」と続編も出されました。

 フランスルネサンス文学を代表するもうひとりの人物が、哲学者で人文学者のミシェル・ド・モンテーニュです。寛容の精神を重んじ、カトリックのシャルル9世とアンリ3世から侍従に任ぜられる一方、プロテスタントのアンリ4世からも侍従に任ぜられました。1580年に主著である「エセー(随想録)」を刊行しました。「エセー」は、人間そのものを問題にし、人間そのものを考察した書物です。終生人間の生き方を探求し続けたモンテーニュは、モラリストの祖とされています。

 16世紀の前半に活躍したラブレーと、後半に活躍したモンテーニュが、フランスルネサンス文学を代表しています。ラブレーの作品は、溌溂としていてとことん喜劇的ですが、モンテーニュの作品は、深刻でとことん内省的です。この対照的なふたりによって、フランスの散文は一定の形式を与えられ、しだいに発展していきます。

 さて、16世紀は印刷術が大きく発展した時代でした。これまで僧院の中だけで研究された聖書が、印刷されて多くの人びとの目に触れるようになりました。中には、聖書の原典研究をおこない、中世キリスト教の歪みを正そうとする人々も現れました。彼ら人文学者の行動が宗教改革を導き、やがて宗教戦争が始まって、ローマ教皇を頂点とした教会の支配体制が揺らぐようになりました。ヨーロッパにはしだいに主権国家が形成され、少しずつ近代社会に向かって進むようになりました。

 さいごに。(勝負は延期)

 5月の私の誕生日は、不二家に「ケーキ4つセット」を食べに行く予定でした。
 昨年2月にケーキを4つ食べたとき、4つ目で気持ち悪くなってしまいました。

 今年はリベンジするつもりでした。朝食を少なめにして、体調を整えて・・・
 しかし、コロナがまだ気になるので、勝負は秋まで持ち越すことになりました。





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