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緑の家1 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「緑の家 上」 バルガス=リョサ作 木村榮一訳 (岩波文庫)


 三つの場所で繰り広げられる五つの物語が、絡み合いながら展開する長編小説です。
 作者はラテンアメリカ文学ブームを牽引した一人で、ペルー初のノーベル賞作家です。


緑の家(上) (岩波文庫)

緑の家(上) (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2010/08/20
  • メディア: 文庫



 シスターと治安警備隊は、密林のインディオの集落で、少女たちを連れ去りました。
 拉致した少女たちを、サンタ・マリーア・デ・ニエバの尼僧院で教育しているのです。

 尼僧院で働くボニファシアは、彼女たちを可哀そうに思って、故意に逃がしました。
 そのため、僧院を追われることになり・・・

 あるときピウラに流れてきたアンセルモという男は、町の人々と親しくなりました。
 しばらくして彼は、砂漠の土地に「緑の家」を建てましたが、その家は・・・

 フシーアという日本人は、これまでさまざまな場所で、悪事を働いてきました。
 今は、旧友アキリーノのボートに乗り、昔を思い出しながら、奥地へ向かい・・・

 現在、上巻を読み終わったところです。
 ラテンアメリカ文学特有の、わざと分かりにくくしたような展開に苦しんでいます。

 「五つの物語が絡み合いながら展開する」ということを、どこかで聞いていました。
 しかし私は、恥ずかしながら、3つの物語しか判別できませんでした。

 1つは「尼僧院とボニファシアの物語」。1つは「緑の家とアンセルモの物語」。
 1つは「フシーアの語る昔の物語」。その他の物語が、よく分からないのです。

 ほかにもいろんな人物が登場しますが、ごちゃごちゃしていて整理しきれません。
 読んでいるうちに、さまざまな矛盾にぶつかり、私は頭を抱えています。

 たとえば、尼僧院にいたボニファシアは、密林の奥で、前触れなく姿を見せます。
 また、緑の家を繁盛させていたアンセルモは、いつのまにか盲目になっています。

 行政官と呼ばれる男は、ある場面ではファビオで、ある場面ではレアテギです。
 どうやらそれぞれの場面で、時間の隔たりがあるようだとは分かるのですが・・・

 「地図を作った連中はこのアマゾン地方が片時もじっとしていない、燃えるような
 女みたいなものだってことが分かってないんだ。ここでは、川も木も生き物もすべ
 てその姿を変えてゆく。わしたちが住んでいるのは狂った大地なんだよ。」(P84)

 これは、アキリーノがフシーアに語った、印象的な言葉です。
 私は、この物語自体も、じっとしていないアマゾンの密林のように感じました。

 私も歩くたびにつるに足を取られ、気づいたら同じ場所を何度も回っていました。
 作者は、意図的に私たちを、物語の密林に迷い込ませようとしているようです。

 コロナ休業で比較的時間があるときなら、多少の回り道もいいでしょう。
 読書時間がほとんど取れない今、「もっと分かりやすく書いてくれ」と思います。

 しかし、この作品を「ワクワクしながら読んだ」と記すレビューも目立ちます。
 下巻に入ってから、その面白さが理解できるようになればいいのだけれども・・・

 さいごに。(娘にアドバイスしても)

 中2の娘が、友達の誕生日のプレゼントに迷っていたので、アドバイスしました。
 「どんなものが欲しいか聞いてみたら?」と。分からないなら、聞けばいいのに。

 「パパは黙っていて!」と言われました。「女子はそういうもんじゃない」と。
 そうか。女子ってたいへんなんだなあ。私は男でよかったです。単純だから。

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