緑の家2 [20世紀ラテンアメリカ文学]
「緑の家 下」 バルガス=リョサ作 木村榮一訳 (岩波文庫)
三つの場所で繰り広げられる五つの物語が、絡み合いながら展開する長編小説です。
岩波文庫から上下二巻で出ています。読みにくい作品ですが、訳は分かりやすいです。
「この作品は、一見構成が解きほぐしがたいほど入り組んで見えるが、読み進むにつ
れてそれまでまったく脈絡を欠いているかに見えた個々の断章、エピソードが互いに
結びつき、照応し合って、やがて作品の全体像が浮かび上がるという仕掛けになって
いる。」(訳者解説)
と述べられていますが、私の場合、そんな素敵な変化はなかなか起こりませんでした。
それぞれの断章は、結びつきもせず、照応し合いもせず、全体像は全く見えません。
まるでトランプの神経衰弱です。あのカードは何だっけ? このカードは何だっけ?
次から次に開けられるカードを、覚えていくことができず、頭は混乱するばかりです。
それでも私は、この洞窟の迷路からようやく抜け出しました。それは、なぜか?
下巻の途中で、「訳者解説」を読んだからです。(邪道だと言うなら言え! 笑)
そうしなかったら、緑の家が二つ存在したなんて、分からなかったかもしれない。
アンセルモとラ・チェンガの関係も、最後まで分からなかったかもしれない。
特にP478~P481を読むと、物語の構成が分かり、頭の中がだいぶ整理されました。
もっと早く「訳者解説」に書かれたあらすじを、読んでしまえばよかった!
私は、分かりやすく書かれていることが、優れた文学の重要な条件だと考えています。
また、優れた文学は、込み入ったことも、分かりやすく書かれていると考えています。
確かに「緑の家」は面白い物語でした。しかし、芸術的に優れていたでしょうか?
この作品はあまりにも技巧に走りすぎて、「遊び」になってしまったのではないか?
そういう意味で、「ラテンアメリカ十大小説」の中の記述は、的確だと思います。
「緑の家」を、ジグソー・パズルという「遊び」で、たとえているので。
「読み進むうちに個々の断章がジグソー・パズルのピースのように徐々に組み上がっ
て行き、少しずつ全体像が浮かび上がってきます。」(P133)
私は、5つの物語は、時間軸にそって書かれた方が、はるかに良かったと思います。
バラバラになったジグソーパズルからは、文学の面白さが得られにくかったです。
だからこそ、ラテンアメリカ文学ブームは、急に衰退してしまったのかもしれません。
「緑の家」を読む人も、2000ピースのパズルをやる人も、よほど物好きな人ですよ。
と、自分の読解力の無さを棚に置いて、否定的なことばかり書いてしまいました。
が、南米の雑多な社会に迷い込む感覚を味わいたい人には、断然オススメの作品です。
バルガス=リョサの作品はハズレなしだと、どこかで聞いたことがあります。
「ラ・カテドラルでの対話」と「密林の語り部」は、ぜひ読んでみたいです。
さいごに。(凝りもせず)
娘がいまだに、友達へのプレゼントに迷っていたので、つい口を挟んでしまいました。
「おかしにしたら?」 おかしなら、外したとしても、家族の誰かが食べるでしょう。
「パパがおかしを食べたいだけでしょ!」と、言われました。
いえいえ、まごころからアドバイスをしているのですけど・・・
三つの場所で繰り広げられる五つの物語が、絡み合いながら展開する長編小説です。
岩波文庫から上下二巻で出ています。読みにくい作品ですが、訳は分かりやすいです。
「この作品は、一見構成が解きほぐしがたいほど入り組んで見えるが、読み進むにつ
れてそれまでまったく脈絡を欠いているかに見えた個々の断章、エピソードが互いに
結びつき、照応し合って、やがて作品の全体像が浮かび上がるという仕掛けになって
いる。」(訳者解説)
と述べられていますが、私の場合、そんな素敵な変化はなかなか起こりませんでした。
それぞれの断章は、結びつきもせず、照応し合いもせず、全体像は全く見えません。
まるでトランプの神経衰弱です。あのカードは何だっけ? このカードは何だっけ?
次から次に開けられるカードを、覚えていくことができず、頭は混乱するばかりです。
それでも私は、この洞窟の迷路からようやく抜け出しました。それは、なぜか?
下巻の途中で、「訳者解説」を読んだからです。(邪道だと言うなら言え! 笑)
そうしなかったら、緑の家が二つ存在したなんて、分からなかったかもしれない。
アンセルモとラ・チェンガの関係も、最後まで分からなかったかもしれない。
特にP478~P481を読むと、物語の構成が分かり、頭の中がだいぶ整理されました。
もっと早く「訳者解説」に書かれたあらすじを、読んでしまえばよかった!
私は、分かりやすく書かれていることが、優れた文学の重要な条件だと考えています。
また、優れた文学は、込み入ったことも、分かりやすく書かれていると考えています。
確かに「緑の家」は面白い物語でした。しかし、芸術的に優れていたでしょうか?
この作品はあまりにも技巧に走りすぎて、「遊び」になってしまったのではないか?
そういう意味で、「ラテンアメリカ十大小説」の中の記述は、的確だと思います。
「緑の家」を、ジグソー・パズルという「遊び」で、たとえているので。
「読み進むうちに個々の断章がジグソー・パズルのピースのように徐々に組み上がっ
て行き、少しずつ全体像が浮かび上がってきます。」(P133)
私は、5つの物語は、時間軸にそって書かれた方が、はるかに良かったと思います。
バラバラになったジグソーパズルからは、文学の面白さが得られにくかったです。
だからこそ、ラテンアメリカ文学ブームは、急に衰退してしまったのかもしれません。
「緑の家」を読む人も、2000ピースのパズルをやる人も、よほど物好きな人ですよ。
と、自分の読解力の無さを棚に置いて、否定的なことばかり書いてしまいました。
が、南米の雑多な社会に迷い込む感覚を味わいたい人には、断然オススメの作品です。
バルガス=リョサの作品はハズレなしだと、どこかで聞いたことがあります。
「ラ・カテドラルでの対話」と「密林の語り部」は、ぜひ読んでみたいです。
さいごに。(凝りもせず)
娘がいまだに、友達へのプレゼントに迷っていたので、つい口を挟んでしまいました。
「おかしにしたら?」 おかしなら、外したとしても、家族の誰かが食べるでしょう。
「パパがおかしを食べたいだけでしょ!」と、言われました。
いえいえ、まごころからアドバイスをしているのですけど・・・