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チボー家の人々1 灰色ノート [20世紀フランス文学]

 「チボー家の人々」 マルタン・デュ・ガール作 山内義雄訳 (白水Uブックス)


 3人の少年たちが成長していく約10年を、世界情勢を交えながら描いた大河小説です。
 全8部(新書で13巻)。第1部「灰色ノート」は1922年刊行。最終巻は1940年刊行。


チボー家の人々 1 灰色のノート (白水Uブックス 38)

チボー家の人々 1 灰色のノート (白水Uブックス 38)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1984/03/01
  • メディア: 新書



 14歳のジャック・チボーは、先生にノートを勝手に読まれたことに憤慨しました。
 そしてジャックは、級友のダニエル・フォンタナンとともに、家出をしたのです。

 ジャックとダニエルはマルセーユに1泊し、海を渡ってチュニス行こうとしました。
 ところが、乗船を頼むと船員たちに追われ、二人は離れ離れになってしまいました。

 一方、チボー氏と長男アントワーヌは、学校でジャックのノートを手渡されました。
 それは灰色のノートで、ジャックとダニエルとの交換日記のような内容でしたが・・・

 「ぼくらふたり、お互い同士ぼくらの愛の燃える相手であることを、未来永劫おぼえ
 ていよう。」(ジャックからダニエル P83)

 「ぼくの一生の物語は二行に要約される。ぼくを生かすものは愛。そしてぼくには、
 ただひとつの愛しかない、それはきみだ!」(ジャックからダニエル P91)

 これを読んだ先生やチボー氏らは、そこに同性愛の香りを嗅ぎ取って・・・
 それゆえ、ジャックが連れ戻されたあと、チボー氏は彼を隔離することにして・・・

 というところで、「灰色ノート」は終わりました。全13巻中のまだ第1巻です。
 わずか180ページ足らずの中編で、全体のプロローグのような役割を持っています。

 チボー家はカトリック教徒で、厳格な父親が支配しているブルジョワの家庭です。
 ジャックの母は亡く、真面目な兄アントワーヌと、妹と、お手伝いさんがいます。

 フォンタナン家はプロテスタントで、自由な気風で、優しい母が仕切っています。
 ダニエルには妹がいます。父は他の女のもとにいるので、母は離婚を決意しました。

 さて第1巻は、ジャックとダニエルの逃亡の失敗、幼い青春の挫折を描いています。
 このあとふたりはどうなるでしょうか? このあとの展開が気になります。

 さて、第1巻で印象深かったのは、ふたりが家出をして離れ離れになった場面です。
 そのときダニエルは、たまたま声をかけてくれた女について行って・・・

 このときの体験があったからこそ、ダニエルにとって家出は意味があるものでした。
 ダニエルにとってジャックはもはや友だちではなく、単なる子供になっていました。

 一方ジャックは、雷鳴の轟く夕立の中、ある会堂に入ってそこで「神」を感じ・・・
 この場面を読むと、ジャックはいつか天罰を受けるのではないかと考えてしまいます。

 「彼はとつぜん、自分の上に揺曳(ようえい)している、目に見えぬ《眼差し》を感
 じていた。それは、いかにかくされた意思のなかへでもはいり込み、それをあばかず
 にはいないところのものだった! 彼は、自分が重い罪びとであること、自分のここ
 にいることが、この清らかな場所をけがすものであること、したがって、天の高みか
 ら、神によって電撃されてもいたしかたないことをはっきりとさとった。」(P109)

 ところで、「チボー家の人々」13巻(12925円)をどこで購入するかが課題でした。
 私は幸い、アマゾン・アウトレットで「ほぼ新品」を半額ぐらいで買えました。

 ほんとうにラッキーでした。頻繁にアマゾンをチェックしていて良かったです。
 もし「ほぼ新品」が半額ぐらいで出ていたら、迷わず買いです。完全に新品なので。


チボー家の人々(全13巻セット) (白水Uブックス)

チボー家の人々(全13巻セット) (白水Uブックス)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 2017/10/01
  • メディア: 新書



 さいごに。(糞づまりふたたび)

 先日、近所のおいしいケーキ屋でケーキを買って、家族3人で食べました。
 生クリームがとってもおいしかったのですが、効果てきめん、翌朝またも便が・・・

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王道 [20世紀フランス文学]

 「王道」 アンドレ・マルロー作 渡辺淳訳 (講談社文芸文庫)


 古代クメール王国の古寺院を探して、密林を彷徨うふたりの白人の冒険の物語です。
 1930年刊。マルロー自身が、以前カンボジアで体験したことをもとに描いています。


王道 (講談社文芸文庫)

王道 (講談社文芸文庫)

  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2000/04/10
  • メディア: 文庫



 カンボジアの密林の中、アンコールに続く王道に沿い、多くの寺院が残っています。
 26歳のクロードは、寺院の浮彫などを盗掘して、巨万の富を得ようと考えています。

 クロードが船の中で知り合ったペルケンという男は、ある人物を追っていました。
 クロードは、密林の事情に明るいペルケンを、仲間に引き入れようと持ちかけます。

 「ラオスから海岸にかけて、密林にはヨーロッパ人がまだ知らない寺院がかなりたく
 さんありますよ・・・」
 「ああ、金の仏像のことだろう? おれはけっこうだよ!・・・」
 「浅浮彫りや彫像は金じゃありませんが、莫大な値打ちです・・・」

 結局クロードはペルケンを引き入れ、現地人たちを雇って、密林に分け入りました。
 苦しい探索ののち、ようやく廃墟に残った浮彫を発見し、苦労して切り出しました。

 ところが、雇っていた者たちは逃亡し、戦闘的な部族からの龍来を受けて・・・
 クロードとペルケンは危機を乗り越えられるか? 彼らは浮彫を持ち帰れるか?

 私は前半の、仏像のレリーフを発見するまでを、ワクワクしながらよみました。
 しかし、読みどころはそのあとの展開。レリーフを手に入れた後、彼らは・・・

 冒険小説と言っても娯楽小説ではありません。どんどん絶望的な状況に向かいます。
 結末には救いがありません。あるのは、人間存在とは何かという問いかけだけです。

 この小説は、若いころ盗掘をしてプノンペンで逮捕された体験をもとにしています。
 当時のヨーロッパの人々は、この小説によってインドシナ事情を知ったのです。

 考古学や芸術に関心を持つマルローは、1960年から1969年に文化相を務めました。
 人生は分かりません。かつてレリーフを盗んだ男が、文化相にまで上り詰めるとは。

 マルローが政治家になったきっかけは、ド・ゴール将軍と意気投合したことでした。
 「解説」でこのふたりは、「王道」のクロードとペルケンのようだと述べています。

 さて、訳は2000年と古くはないのですが、正直に言って分かりにくかったです。
 しかしその一方で、名文と言いたくなるようなフレーズが、いくつもありました。

 「冒険家というものは虚構癖の産物ですよ」(P20)

 「青春とは、いつかは改宗しなくちゃいけない宗教のようなもんだ」(P83)

 「死はそこにある、そうだろう、まるで・・・まるで人生の不条理の否定できない
 証拠みたいにね・・・」(P146)

 ところで、アンドレ・マルローの作品は、今ではあまり読まれていないようです。
 マルローが読まれなくなってしまったのは、彼が政権に加わったからだそうです。

 マルローが体制側の人間と認識されると、作品の魅力は失われました。皮肉ですね。
 かつて文庫で出ていた「人間の条件」も「希望」も、現在は絶版で手に入りません。

 1933年刊行の「人間の条件」は、彼の代表作として広く知られているのですが・・・
 新潮文庫さんはぜひ復刊してほしいです。または、新訳版の出版を心より望みます。


人間の条件 (新潮文庫)

人間の条件 (新潮文庫)

  • 作者: アンドレ・マルロー
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2023/09/17
  • メディア: 文庫



 9月28日現在、新潮文庫の「人間の条件」は中古で3000円の高値がついています。
 これでは人に勧められませんし、買って読む気にもなれません。残念な作品です。

 さいごに。(日本保守党に期待)

 日本保守党のX(旧ツイッター)のフォロワー数が、あっさり自民党を抜きました。
 まだ政策がはっきりしていませんが、ぜひとも保守の「王道」を行ってほしいです。

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失われた時を求めて8 [20世紀フランス文学]

 「失われた時を求めて4」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)


 記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
 20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。

 第二篇「花咲く乙女たちのかげに」は、1919年のゴンクール賞を獲得しました。
 今回は、その第二部「土地の名ー土地」の後半部分を紹介します。


失われた時を求めて(4)――花咲く乙女たちのかげにII (岩波文庫)

失われた時を求めて(4)――花咲く乙女たちのかげにII (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2012/06/16
  • メディア: 文庫



 バルベック滞在中の「私」は、浜辺で5~6人の少女たちの集団を見かけました。
 彼女たちは皆美しく、服装も物腰もバルベックで見慣れた人たちと違っていました。

 「シモネのお嬢さんのお友だち」と耳にした「私」は、そのことが忘れられません。
 まだ会ったこともない「シモネ」という名前の少女に、思いを馳せるのでした。

 また「私」は、サン=ルー侯爵に連れられて、リヴベルに夕食に出かけました。
 リヴベルで「私」は、サン=ルーの知り合いの女たちに会い、心ひかれました。

 こうして「私」の興味は、しだいに女たちへ向かっていきました。
 と同時に、祖母との閉じられた世界から脱して、自分の世界を切り開いていきます。

 あるとき「私」は、リヴベルの食堂で、エルスチールという画家と知り合いました。
 彼はリヴベルにアトリエを持ち、地域では大画家として名を成していました。

 「私」は彼のアトリエで、ブルジョワの少女アルベルチーヌ・シモネと出会い・・・
 エルスチールが開いた集いで、「私」はようやくアルベルチーヌに紹介されて・・・

 というように、第二部後半は、「私」とアルベルチーヌの恋の物語です。
 しかし、どうしても印象に残るのは、謎多き画家のエルスチールです。

 彼は、かつてヴェルデュラン夫人のサロンにいたという、滑稽な人ではないのか?
 しかし、現在はすっかり雰囲気が変わり、「私」にまっとうなアドバイスをします。

 どんな賢明な人でも、若いころには失敗をするが、それは後悔すべきことではない、
 なぜなら賢人は、ありとあらゆる滑稽なことをしたあとでないとなれないから、と。

 「駆け出しのころの自分のすがたなど、もはや見わけがつかなくなっていますが、い
 ずれにせよ不愉快なものであるのは、私にはよくわかります。だからといってそれを
 否認してはいけません。それはわれわれがほんとうに生きてきた証なのです。」(P478)

 またエルスチールは、ある女の肖像画を持っていて、それを見せたがりませんでした。
 それは、スワン夫人の若かりし頃の姿なのではないか? 彼はなぜそれを描いたのか?

 エルスチールのおかげで、「私」はアルベルチーヌとその仲間たちと知り合いました。
 そして、ジルベルトの時と同じように、「私」は彼女たちと頻繁に会って遊びました。

 あるときアルベルチーヌが、「あなたのこと、好きよ」とメモに書いてよこして・・・
 アルベルチーヌと手と手が触れ合ったとき、彼女の自分に対する愛を確信して・・・

 そして、アルベルチーヌがグランド・ホテルに泊まる夜、「私」を部屋に招きました。
 「私」が接吻をしようとすると・・・アルベルチーヌはどんな行動に出たのか?

 「花咲く乙女たち」とせっかく知り合ったのに、肝心なことはまだ何も起こりません。
 ある夏のリゾート地で、彼らは出会ってそして去って行った、というだけなのです。

 アルベルチーヌも突如いなくなってしまいますし。この先、どうなるのでしょうか?
 当初、ここまで読んだら終わりにしようと思っていましたが、これでは終われません。

 さて、この先「失われた時を求めて」は、第三篇「ゲルマントのほう」に続きます。
 第三篇に進むのが正攻法ですが、岩波文庫全14巻を読み通す気力はありません。


失われた時を求めて(5)――ゲルマントのほうI (岩波文庫)

失われた時を求めて(5)――ゲルマントのほうI (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2013/05/17
  • メディア: 文庫



 ところでここに、第一篇→第二篇→第六篇→第七篇という読み方を勧める人がいます。
 「りきぞう」さんという方です。邪道ですが、私はこれもひとつの方法だと思います。
 → https://rikizoamaya.com/proust-timessummary/

 さいごに。(見殺しにした者の罪は重い)

 ジャニーズ問題については、さまざまに論じられています。
 ジャニー氏がいなくなった今、テレビ局は急に正義の味方を演じ始めたみたいです。

 しかし今のテレビ局は、自分たちの罪を覆い隠すために報道しているように見えます。
 ジャニー氏が生きていたとき、見て見ぬふりをしてきたテレビ局の罪は非常に重い。

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失われた時を求めて7 [20世紀フランス文学]

 「失われた時を求めて4」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)


 記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
 20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。

 第二篇「花咲く乙女たちのかげに」は、1919年のゴンクール賞を獲得しました。
 今回は、その第二部「土地の名ー土地」の前半部分を紹介します。


失われた時を求めて(4)――花咲く乙女たちのかげにII (岩波文庫)

失われた時を求めて(4)――花咲く乙女たちのかげにII (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2012/06/16
  • メディア: 文庫



 ジルベルトとの恋が終わって2年が経ちました。「私」は16歳ぐらいになっています。
 「私」は今まで憧れていたバルベックへ、母と離れて、祖母とともに旅立ちました。

 バルベックの教会へひとりで立ち寄りましたが、期待したほどではありませんでした。
 教会の彫刻群についても、これまで見てきた写真や複製ほどの感動が無かったのです。

 「私」と祖母は、宮殿のように豪華なバルベック・グランド・ホテルに入りました。
 そこでたまたま、祖母の学友であるヴィルパリジ侯爵夫人と、鉢合わせをしました。

 それから侯爵夫人と交流し始めました。彼女はゲルマント侯爵の叔母だったのです。
 時にはヴィルパリジ侯爵夫人の馬車で、バルベックの郊外へ出ることもありました。

 やがて「私」は、侯爵夫人の甥ロベール・ド・サン=ルー侯爵と親しくなり・・・
 また、その従兄のシャルリュス男爵の奇妙な振る舞いに困惑するようになり・・・

 「土地の名ー土地」は、だいたいP323ぐらいのところで、前後半に分けられます。
 今回はその前半部分で、バルベックでゲルマント家の人々とつながる場面です。

 その中で印象に残ったのは、なんといっても、謎めいた男シャルリュス男爵です。
 男爵は、ヴィルパリジ侯爵夫人の甥であり、ゲルマント公爵の弟だったのです。

 初めて出会ったとき、シャルリュス男爵が「私」に放った流し目は何だったのか? 
 男爵が、「私」と祖母をお茶に招待しておきながら、知らんぷりをしたのはなぜか?

 お茶会で冷淡だった男爵が、急に親切になって「私」の部屋を訪れたのはなぜか?
 翌日男爵が、浜にいる「私」を呼び止めて、冷ややかに説教を始めたのはなぜか?

 またコンブレ―では、スワン夫人はシャルリュス男爵の愛人だと言われていました。
 サン=ルー侯爵は、男爵はスワンの親友なので、それはありえないと断言しました。

 ではなぜ男爵は、スワンが留守のときに、スワンの屋敷で夫人とともにいたのか?
 シャルリュス男爵とスワン夫人は、いったいどのような関係だったのか?

 シャルリュス男爵は、この巻での登場は少ないものの、とても気になる人物です。
 彼の奇妙な振る舞いや謎めいた行動の意味は、読み進めるうちに分かってきます。

 なお、シャルリュス男爵のモデルは、ロベール・ド・モンテスキュー伯爵です。
 ジョバンニ・ボルディーニの描いた肖像画は、ダンディの典型として有名です。

 私はこの肖像画を、中野京子の「名画に見る男のファッション」で知りました。
 以下の本のカバー・イラストが、まさにその絵です。(変なヒゲですが・・・)


名画に見る男のファッション (角川文庫)

名画に見る男のファッション (角川文庫)

  • 作者: 中野 京子
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
  • 発売日: 2016/04/23
  • メディア: 文庫



 さて、その他印象に残った場面は、ヴィルパリジ侯爵夫人の馬車での遠乗りです。
 三本の立木を見たとき、コンブレ―において経験した幸福感で満たされたのです。

 その幸福感の理由が分からないまま、やがて馬車は三本の木から遠ざかりました。
 そのとき三本の木は、「私」に向かって次のように言っているような気がしました。

 「きみは今日ぼくらから学ばなければ、このことは永久に知らずじまいになるんだ
 よ。(中略)せっかく届けてやろうとしたきみ自身の一部は永久に無に帰してしま
 うよ。」(P182)

 木々から遠ざかってゆく馬車の歩みは、まるでわが人生のようだと思いました・・・
 というこの場面は、おそらくこの小説のテーマに関わる重要な場面だと思います。

 ところで、プルーストのえんえんと続く文章は、最初私をとても眠たくしました。
 しかし今では文体に慣れたためか、そのリズムが心地よくてクセになりそうです。

 次回は「土地の名—土地」の後半部分を紹介します。
 いよいよ第二の恋人アルベルチーヌが登場します。楽しみです。

 さいごに。(1550円のジュース)

 先日、娘のオープンキャンパスに付き合って、日帰りで東京へ行きました。
 交通費を節約するため、青春18きっぷを使って、片道3時間半かけて行きました。

 それなのに、渋谷のカフェで1550円もするジュースを2人で飲んでしまいました。
 おなかが一杯になったため、夕食(富士そばを予定)が食べられなくなりました。

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モデラート・カンタービレ [20世紀フランス文学]

 「モデラート・カンタービレ」マルグリット・デュラス作 田中倫郎訳(河出文庫)


 情痴事件を見たことがきっかけで、酒場に通うようになった裕福な夫人の物語です。
 1958年刊行の中編小説。デュラスの小説は、この作品を境に変化したと言われます。


モデラート・カンタービレ (河出文庫 509A)

モデラート・カンタービレ (河出文庫 509A)

  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 1985/05/01
  • メディア: 文庫



 裕福な夫人のアンヌ・デバレードは、息子をピアノのレッスンに通わせています。
 しかし、息子はまったくやる気がなく、ピアノの教師は手を焼いています。

 「モデラート・カンタービレって、どういう意味?」「知らない」
 それは「普通の速さで歌うように」という意味ですが、息子は覚えようとしません。

 そのとき、女の叫び声がして、ざわめきが起こったので、アンヌは見に行きました。
 その酒場では、ひとりの男が、死んだ女を抱擁したり、口づけしたりしていました。

 翌日の夜、アンヌはその酒場に行き、居合わせた男と例の事件について話しました。
 この日からアンヌは酒場に通うようになり、その男と事件について語り合いました。

 男と女(夫も子供もいた)はどんな関係だったのか? なぜ男は女を殺したのか?
 女は撃ち殺されることを望んでいたのか? そして、男もそれを察していたのか?

 毎夜、酒場でさまざまな想像をするうちに、アンヌと男は親密になっていきます。
 また、不思議とふたりの関係は、例の事件と二重写しのようになっていき・・・

 わずか140ページしかありませんが、鮮烈な印象を残す小説です。
 アンヌと男も同じ事件を繰り返すのでは、という予感めいた空気が漂っています。

 「あなたは死んだ方がよかったんだ」
 「もう死んでるわ」

 ふたりは殺人事件をネタに、一時的に死の世界に遊んでみただけなのか?
 それとも、ふたりは本気で死の世界に憧れ、何ごとかをなすつもりだったのか?

 ミステリーっぽい雰囲気で、ただ会話している場面ばかりなのにスリリングです。
 先が気になるので、あっというまに読めてしまいます。活字も大きいし。

 ただし、どうしても分からない点がひとつありました。タイトルの意味です。
 「普通の速さで歌うように」という意味が、物語とどのように関わっているのか?

 さいごに。(世界陸上、ありがとう!)

 男子100mでサニブラウンが6位入賞、男子3000mSCで三浦が6位入賞。
 男子400mでは佐藤拳の日本記録、そして、女子やり投げ北口榛花の金メダル!!!

 今回の世界陸上は、本当に見どころが多かったです。
 それなのに私的には、少々物足りなさがありました。織田裕二が出ていないので。

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プルーストを読む [20世紀フランス文学]

 「プルーストを読むーー『失われた時を求めて』の世界」 鈴木道彦(集英社新書)


 プルーストの「失われた時を求めて」を、さまざまな視点から紹介した入門書です。
 著者鈴木道彦は、集英社文庫の個人全訳決定版「失われた時を求めて」の訳者です。


プルーストを読む ―『失われた時を求めて』の世界 (集英社新書)

プルーストを読む ―『失われた時を求めて』の世界 (集英社新書)

  • 作者: 鈴木 道彦
  • 出版社/メーカー: 集英社
  • 発売日: 2002/12/17
  • メディア: 新書



 私にとって「失われた時を求めて」の最大の魅力は、コンブレ―の二つの散歩道です。
 「スワン家のほう」と「ゲルマントのほう」。「私」の家の前から続く、正反対の道。

 「スワン家」は、富裕なユダヤ人一家。「ゲルマント家」は歴史あるフランス貴族。
 このふたつの道が意外なところでつながっていて、ふたつの家ものちに結びつき・・・

 という構成がたいへん魅力的だったので、もっと知りたくてこの本を取ってみました。
 しかし、物語の構成的な部分はあまり書かれていません。ネタバレだからでしょうか。

 さまざまな部分で仕込まれた伏線が、いかに回収されていくか?
 という点については、この本にはほとんど書かれていなかったです。(残念)

 また、「無意志的記憶」については、私は「神秘体験」に近いものと考えています。
 そういう記述がないものかと探っていたら、次のような記述がありました。

 「要するに、無意志的記憶の合図によって始まるのは、死んだ過去を語る自伝とは異
 なって、蘇った過去の魂の物語なのである。」(P50)

 「蘇った過去の魂」を、ケルトの信仰に絡めながら、もっと説明してほしかったです。
 私的には、「魂」が時空を超えて、その場にもう一度立ち会う、というイメージです。

 さて、この本でよく理解できたことには、次のような項目があります。
 まずは、「フォーブール・サン=ジェルマン」が地区名から出た言葉であること・・・

 また、この物語の裏テーマに、ヴェルデュラン夫人の出世物語があったこと・・・
 また、スノブの本当の意味と、ルグランダンの奇妙な行動の意味・・・

 また、世紀末のユダヤ人とドレーフュス事件について・・・
 また、シャルリュス男爵をはじめとする性倒錯者たち・・・

 ただ、これらの項目が、もっと有機的につながっていると良かったと思います。
 しかし、プルースト入門としては、たいへん分かりやすくて有意義な本でした。

 ところが、ユーチューブには、この本以上(?)に有意義な動画がありました。
 それが、「文学YouTuber ムー の 文学マップ」さんの動画です。おススメです。



 さいごに。(一家でコロナ)

 コロナで自宅待機がようやく明ける頃、今度は妻と娘が陽性になってしまいました。
 仕事を休んでふたりの世話をしています。といっても、食事と洗濯だけなのだけど。

 特に娘は、コロナとなってオープンキャンパスに行けなくなってしまいました。
 私がうつしてしまったのは確実。本当に申し訳ない!

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失われた時を求めて6 [20世紀フランス文学]

 「失われた時を求めて3」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)


 記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
 20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。

 第二篇「花咲く乙女たちのかげに」は、1919年のゴンクール賞を獲得しました。
 今回は、その第一部「スワン夫人をめぐって」の後半部分を紹介します。


失われた時を求めて(3)――花咲く乙女たちのかげにI (岩波文庫)

失われた時を求めて(3)――花咲く乙女たちのかげにI (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/11/17
  • メディア: 文庫



 タイトルは「スワン夫人をめぐって」ですが、「私」とジルベルトの物語です。
 前後半の境目はP264辺りで、内容をざっくりまとめると、次のようになります。

 前半は「私」がジルベルトと仲良くなるまでの話で、前回紹介した部分です。
 後半は「私」がジルベルトと別れるまでの話で、こちらの方が味わい深いです。

 「私」はジルベルトはもちろん、スワンやオデットとも交際するようになりました。
 ところが、オデットを嫌う両親は、その交際をあまり快く思っていませんでした。

 しかし、夫妻は晩餐会で、「私」の憧れの作家ベルゴットを紹介してくれました。
 「私」はベルゴットと交流しながら、いつか自分も作品を書こうと考え始めます。

 さて、「私」がジルベルトに会う障壁がなくなったことが、逆に障壁となりました。
 いつでも会いに行けるという安心感が、やがてふたりを少しずつ引き離すのでした。

 ある夜スワン家に向かう「私」は、ジルベルトが他の若い男と歩くのを見て・・・
 ふたりの手紙のやり取りは、しだいにふたりの恋を過去のものにしていき・・・

 ここで印象的なのは、「私」とジルベルトが知らず知らず離れて行く場面です。
 ささいなことがしだいに取り返しのつかないことになり、運命を変えてしまいます。

 「きみのためにぼくがどれほどの苦しみを受けているのかわからない」と言うと、
 ジルベルトは本気で怒りました。それは、「私」の愛を信じていたからこそです。

 「あなたのこと、ほんとに好きだったのよ、いつかあなたにもわかる日が来るわ」
 という言葉を「私」は聞き流して、もうジルベルトには会わないと決心して・・・

 この場面はふたりの人生にとって、とても重要な場面だったのではないでしょうか。
 しかしそのときは、その重要性について、当人はほとんど分かっていないものです。

 運命は皮肉です。「私」は当時、何の気なしに公的な晩餐会への出席を拒みました。
 それによって、ボンタン夫妻の姪アルベルチーヌと会う機会を得られませんでした。

 しかしそういう運命のすれ違いは、そのときはまったく分からないものです。
 「私」がアルベルチーヌと深い関係になるのは、もう少しあとからなのです。

 こうして、「私」はジルベルトはもちろん、スワン夫妻を訪れることもやめました。
 とはいえ、スワン夫妻が散歩する優雅な姿は、いつまでたっても記憶に残っています。

 さいごに。(スポットエアコン)

 急に調子が悪くなり、仕事を早退して医者に行ったら、「コロナ陽性」でした。
 部屋が暑すぎて眠れなかったので、妻がスポットエアコンを買ってきてくれました。

 恥ずかしながら私は、こういう商品があることを知らなかった。妻に感謝です。
 しかし、近所の電機屋で4万円ほどしました。アマゾンだったらはるかに安かった!





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失われた時を求めて5 [20世紀フランス文学]

 「失われた時を求めて3」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)


 記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
 20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。

 第二篇「花咲く乙女たちのかげに」は、第一次世界大戦後の1919年に出ました。
 その年のゴンクール賞を獲得して、プルーストの名を一躍有名にした巻です。


失われた時を求めて(3)――花咲く乙女たちのかげにI (岩波文庫)

失われた時を求めて(3)――花咲く乙女たちのかげにI (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/11/17
  • メディア: 文庫



 「私」がシャンゼリゼでジルベルトと遊んでいた頃、ノルポワ氏が夕食に来ました。
 特使としても働いてきたノルポワ侯爵が、なぜか「私」の父に友情を示したのです。

 彼は、「私」を外交官にしたがっていた父に、作家も良い職業だと請け合いました。
 ノルポワ氏のおかげで「私」は外交官にならず、作家の道に進むことができました。

 一方で彼は、「私」が以前書いた散文詩を読んで、ダメな点をあげつらいました。
 のみならず、「私」が心服している作家ベルゴットを、容赦なくこきおろしました。 

 (ところが、スワン家での晩餐会を通して、「私」とベルゴットと交流が始まると、
  今度はベルゴットがノルポワ氏を「耄碌じじい」と容赦なくこきおろすのです。)

 後日「私」はジルベルトから、スワン夫妻が自分を良く思っていないと聞きました。
 しかし、数日間病気で寝込んだとき、ジルベルトからお茶の誘いを受けたのでした。

 なぜ一転して、「私」はスワン夫妻から歓迎されるようになったのか?
 どうやら、「私」がジルベルトに対して大きな影響力を持っているからのようで・・・

 というように、第一部「スワン夫人をめぐって」は、「土地の名ー名」の続きです。
 14歳から15歳ぐらいの「私」とジルベルトとの、淡い恋が描かれています。

 ここで印象的なのは、「私」がジルベルトから手紙を取ろうとしてふざける場面です。
 「私」は両脚でジルベルトを締め付け、彼女はくすぐられたように笑っています。

 そうした取っ組み合いで、「私」ははあはあと息切れが高まったと思う間もなく・・・
 「力を出したときに数滴の汗がほとばしるように快楽をもらした。」(P156)

 するとジルベルトは、「もう少し取っ組み合いを続けてもいいわよ」と言うのです。
 「私」は気付かれたと悟ります。というように、少年時代の「性」が描かれています。

 その直後、公衆トイレとアドルフ叔父の部屋の匂いが同じだと、不意に気づきます。
 その公衆トイレのかび臭い匂いは、なぜか「私」に歓びをもたらしてくれたのです。

 トイレの匂いに歓びを感じるのはなぜか? 叔父の部屋の匂いとどう関わるのか?
 直前の「性」の挿話と関係があるのか? この謎はどこかで明かされるのでしょうか?

 もうひとつ印象的な場面があります。時間に対する疑念が述べられている場面です。
 その疑念は、父に「あれはもう子供ではない」と言われた時、急に湧きおこりました。

 私の人生はすでに始まっていて、このあともこれまでとそう違わないのでは・・・
 私は時間の外にいるのではなく、むしろ時間に縛られているのではないか・・・

 その疑念には、平凡な男が田舎に住み着くという物語の結末に似た悲哀があります。
 自分もまた平凡な人生を運命づけられているのではないか、という悲哀でしょうか。

 さいごに。(名古屋の方には、笑って聞き流してほしいのだけど・・・)

 前回紹介したように、静岡人のごく一部には「静岡は首都圏だ」と言う人がいます。
 その人は、進学や就職で名古屋へ出る人のことを、「都落ち」と言っています。

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失われた時を求めて4 [20世紀フランス文学]

 「失われた時を求めて2」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)


 記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
 20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。

 岩波文庫版の訳者は吉川(よしかわ)一義です。格調が高く読みやすい新訳です。
 前回に続いて第二部「スワンの恋」と、第三部「土地の名ー名」を紹介します。


失われた時を求めて(2)――スワン家のほうへII (岩波文庫)

失われた時を求めて(2)――スワン家のほうへII (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/05/18
  • メディア: 文庫



 第一篇「スワン家のほうへ」の第二部「スワンの恋」に、印象的な場面があります。
 それは、「ヴァントゥイユのソナタ」の小楽章が、不意に現れる場面です。

 スワンは前年それを聞き、自分を魅了した名もない女のように気になっていました。
 しかし彼はV夫人のサロンで、二度と会えまいと諦めていた小楽章と再会しました。

 そしてこのソナタの小楽章は、スワンとオデットのために、たびたび弾かれました。
 それは、オデットの心が離れていった後も、楽しい思い出とともに生き続けました。

 サン=トゥーヴェルト夫人の夜会で、スワンはふとオデットの気配を感じました。
 しかし、それは彼女ではなく、「ヴァントゥイユのソナタ」の小楽章だったのです。

 聞くともなく聞いていると、オデットとともに過ごした幸福な日々が蘇りました。
 ところが、そこへ至る扉はすべて閉ざされてしまい、二度と戻ることができません。

 「そのときスワンの視界に、こうして追体験された幸福を目の当たりにしてじっとし
 ている不幸な男のすがたがあらわれた。すぐにはだれかわからず同情したスワンは、
 涙をためているのを見られぬよう目を伏せなければならなかった。その男とはスワン
 自身だったのである。」(P352)

 スワンは憐憫と愛情に駆られて、初めて作曲者ヴァントゥイユのことを思いました。
 彼もまた、ひどい辛酸を嘗めた自分の同類なのではないか、と・・・

 この場面は哀切きわまりない。
 ヴァントゥイユが、「コンブレ―」で登場した哀れな老人であると思えばなお更です。 

 ところで、「ヴァントゥイユのソナタ」は最初、物語の筋と関係なく突然現れます。
 だから私は、その場面を単なる一挿話として、ほとんど読み飛ばしてしまいました。

 ところが、それはスワンとオデットの恋を象徴し、物語を味わい深くしています。
 一見関係なさそうな挿話が、いつのまにか物語の重要場面とつながっているのです。

 改めて気づいたことは、この作品は嘗めるようにして読むべきだ、ということです。
 たっぷり時間とお金があるときに、リゾートホテルの揺り椅子で読むべきですよ。

 さて、ここで気になるのは、第二部「スワンの恋」のラストの部分です。
 ここではスワンの夢が醒めて、オデットをふっきったように見えるのです。

 しかし、第一部「コンブレ―」では、ふたりは「不幸な結婚」をしていました。
 いったいこのあと、スワンとオデットの間に何があったのか?

 第三部「土地の名—名」に入ると、「私」とジルベルトとの淡い恋が語られます。
 舞台はパリで、コンブレ―の時代のあとです。スワンとオデットは結婚しています。 

 シャンゼリゼで「私」は、ジルベルトたちと出会い、一緒に遊ぶようになりました。
 「私」はジルベルトと一緒にいることが幸福で、彼女に会うことが楽しみでした。

 やがてふたりはとても親しくなり、「私」はジルベルトを愛するようになりました。
 そして「私」は、ふたりともお互いに恋心を打ち明け合わなければ、と思いました。

 「私」にとって、彼女の父のスワンも特別な存在となり、憧れるようになりました。
 さらに、ジルベルトへの恋心が浸透して、スワン夫人も魅力的な存在となりました。

 しかし今では、ジルベルトやスワンやオデットがいた場所は、消えてしまいました。
 私たちが知っていた場所は、過去の印象が積み重なった薄い層にすぎないから・・・

 さてここに、ジルベルトが「私」にもっと気安く呼び合おうと言う場面があります。
 ところが、「私」に対する呼び方は、この小説のどこを探してもありません。

 つまり、P469の注にあるとおり、主人公「私」には名前が与えられていないのです。
 このことは、「私」が肉体を離れた「魂」であることの証明のように思えるのです。

 「魂」となった「私」は、これまでの肉体に与えられていた名前から解放されます。
 だからもう「私」としか言い表せません。たとえ過去の体験を語る場面であっても。

 ここまででようやく、第一篇「スワン家のほうへ」が終わりました。
 だいぶ時間がかかりましたが、しだいにプルーストの文章に慣れてきました。

 特に、完訳版を読んで初めて、抄訳版では味わえないものがあると気付きました。
 第二篇「花咲く乙女たちのかげに」(岩波文庫2冊分)も、続けて読んでいきます。

 第二篇についてもフランスコミック版が出ているので、参考にして読んでいきます。
 コミック版といえどもバカにできません。読む上でたいへん大きな助けになります。

 さいごに。(静岡は首都圏だ!)

 徳川家康は駿府城で余生を過ごしたため、その頃江戸と駿府のつながりが深かった。
 駿府は江戸の一部として機能していたと言っても、過言ではありません(?)。

 静岡の人の中には、そのようなプライドを持っている人もいます。
 その一人が言いました。「静岡が首都圏であることは、歴史的に見て明らかだ」と。

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失われた時を求めて3 [20世紀フランス文学]

 「失われた時を求めて2」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)


 記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
 20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。

 岩波文庫版の訳者は吉川(よしかわ)一義です。格調が高く読みやすい新訳です。
 今回は第一篇「スワン家のほうへ」から、第二部「スワンの恋」を紹介します。


失われた時を求めて(2)――スワン家のほうへII (岩波文庫)

失われた時を求めて(2)――スワン家のほうへII (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2011/05/18
  • メディア: 文庫



 「私」が生まれる前のこと、パリで暮らしていたスワンはオデットと出会いました。
 しかし当初は、オデットを美しく思いながらも、それほど魅力を感じませんでした。

 ところがある午後、オデットの部屋にお茶に誘われたとき、突然はっとしたのです。
 彼女が、システィーナ礼拝堂のフレスコ画のチッポラに、そっくりだったからです。

 ボッティチェリの描いた娘と重ねられ、オデットに対する見方が全く変わりました。
 オデットの美的価値は、美学による根拠によって、揺るぎないものとなったのです。

 ヴェルデュラン夫人のサロンに出たあと、スワンが彼女を送るようになりました。
 ところが、スワンがサロンに遅れて行ったある日、彼女はすでに帰ったあとでした。

 スワンは急に胸に痛みを感じ、はじめてオデットのありがたみが分かりました。
 そして、彼女が自分の部屋にいないのが分かると、スワンは動揺し始めたのです。

 「もはや自分が同じ人間ではないこと、自分がひとりではなく、新たな存在が自分
 とともにあり、自分に密着し、自分と一体化しているのを認めざるをえなかった。」
 (P109)

 スワンはまるで変ってしまい、夜の街を狂ったように、オデットを探し回りました。
 たまたま彼女に会うことができ、彼女をものにしてからは、もう夢中になりました。

 「十五世紀にまでさかのぼってシスティーナ礼拝堂の壁面に女のすがたをテンペラで
 描き終えてもなお、その女がピアノの前で接吻され抱かれるのを待っているのだと考
 えると、画の女が生身の生を備えているという想念にきわめて強い力で陶酔に誘われ
 る。」(P128) 

 スワンがオデットに夢中になればなるほど、オデットの態度はつれなくなりました。
 多くの男性と付き合ってきたオデットは、男を操るすべをよく知っていたのです。

 やがて、ふたりの関係は逆転し、オデットはスワンを手玉に取るようになりました。
 彼女に振り回されるスワンは、嫉妬によって悶々と過ごすことが多くなりました。

 オデットの御機嫌を取るために、多くのお金を貢いだり、高価な贈り物をしたり・・・
 それなのに、オデットにはなかなか会ってもらえず・・・

 恋した男がいかに愚かか。愛する女のためにいかに滑稽な振る舞いに出るか。
 恋した方が負け。「スワンの恋」がそれを教えてくれます。非常に興味深い章です。

 スワンは皇太子や大統領のお友達で、社交界で最も洗練された人士のひとりです。
 もちろん初心(うぶ)ではありません。むしろ、女好きで女たらしです。

 そのスワンが、くだらない女におろおろしている姿は、無様というよりもかわいい。
 一方、相手の弱みに付け込むオデットは、あまりにもずる賢すぎて、あっぱれです。

 それにしても、チッポラそっくりと思った瞬間、好きになってしまった点が面白い。
 オデットの頭の悪さも教養の無さも品の無さも、チッポラの前で雲散霧消してしまう。

 ちなみにレ・ローム大公夫人は、頭のいいスワンがあんなバカ女のために苦しむのは
 おかしいと言っていますが、その言に対するコメントがなかなかセンスありました。

 「コンマ菌のような微生物のせいでどうしてコレラにかかるのかと驚くようなもので
 ある。」(P344)とのこと。言い得て妙!

 ついでながら、オデットはコミック版の絵では、50歳ぐらいのおばさんに見えます。
 だから、彼女に夢中になる気持ちが全く理解できません。(本当は30歳ぐらいか)

 さて、着目したいのは、シャルリュス男爵がスワンの友達として登場することです。
 男爵は「コンブレ―」において、スワンの恋敵(こいがたき)として登場しました。

 しかし、コンブレ―での噂とは違い、男爵はオデットの浮気相手ではないのです。
 本当のところ男爵は、女に興味がないゆえ、オデットのお目付け役となっています。

 そして、シャルリュス男爵は、スワンのために一生懸命に尽くしています。
 本当にそれは友情だけからか? シャルリュス男爵への興味が急に高まりました。

 ところで、「スワンの恋」は、「私」が生まれる前の物語です。
 それなのに、どうして「私」はこれほど詳しく、まるで見てきたように語れるのか。

 それは、「私」の魂が体から抜け出て、時空をさまよっているからなのでしょう。
 「魂」が過去に戻り、「スワンの恋」を追体験しているのだと、改めて思いました。

 さいごに。(久々の花火大会)

 我が地元で有名な花火大会が、今年は6年ぶりに行われます。しかも、大々的に。
 東京ディズニーリゾートとコラボ(?)するため、県外からも人が押し寄せます。

 市内の高校生はほとんど出かけるようです。うちの娘も17時に出かけました。
 人出はどのくらいか? 花火はちゃんと見られるのか? いろいろ心配です。

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