SSブログ
20世紀フランス文学 ブログトップ
前の10件 | 次の10件

失われた時を求めて12 [20世紀フランス文学]

 「失われた時を求めて6」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)


 記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
 20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。

 第三篇「ゲルマントのほう」は、1920年から21年にかけて刊行されました。
 今回は岩波文庫の第6巻の後半で、「ゲルマントのほう」の続きを紹介します。


失われた時を求めて(6)――ゲルマントのほうII (岩波文庫)

失われた時を求めて(6)――ゲルマントのほうII (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2013/11/16
  • メディア: 文庫



 シャルリュス男爵は、サロンでスワン夫人の横に座り、「私」に気付いたようです。
 しかし、なぜか冷淡な様子なので、「私」の方からはなかなか声をかけられません。

 ところが、サン=ルーに続いてそこを離れたとき、突然目の前に現れて言いました。
 「私はすぐここを出る。すこしいっしょに歩きませんか? すぐにすむ話だから。」

 ヴィルパリジ侯爵夫人は、「私」が男爵と一緒に帰るつもりだと知って慌てました。
 そして、「あの人を待たずにお帰りなさい」と、心配そうな顔をして言うのです。

 ところが、男爵は「私」を階段の途中で呼び戻し、思わせぶりなことを言いました。
 そして、シャルリュス男爵は自分の腕を、「私」の腕の下にもぐりこませたのです。

 「もはや私にはひとつの情熱しかない。いまだ汚れなき心の持主で、美徳によって奮
 い立つ人に、私の知っていることを役立ててもらい、わが生涯の過ちの償いをしたい
 という情熱だ。(中略)そんな精神的な遺産を手にする人、私がその人生を導いてま
 すます高めてゆける人、それはあなたかもしれない。」(P268)

 そのときアルジャンクール伯爵が来て、男爵と「私」を胡散臭そうな目で見ました。
 そのあとも伯爵は、「私」を好奇の目でじろじろ見て、別れ際には冷淡で・・・

 アルジャンクール伯爵が、よそよそしく振舞ったのはどうしてか?
 ヴィルパリジ侯爵夫人が、心配そうにしていたのはどうしてか?

 シャルリュス男爵の思わせぶりな言動には、どういう意味があるのか?
 とはいえ、男爵の謎めいた態度には、充分な暗示があるのですが・・・

 「もう一度言うが、あなたには毎日会って、あなたから忠誠と秘密保持を誓ってもら
 わねばならん。」(P277)・・・秘密保持って?

 なんと言ってもシャルリュス男爵ですよ!
 この謎めいた人物が、この小説をとても面白くしてくれています。

 シャルリュス男爵は、とうとうヴィルパリジ侯爵夫人の落魄の理由を語りました。
 でもそれより、我々はシャルリュス男爵自身について、いろいろ知りたいですよ。

 さて、その後、祖母の具合が急激に悪くなっていきました。
 尿毒症によってほとんど動けなくなり、祖母は絶望して、窓を開けようとして・・・

 かつて海に身投げしようとした女が、意に反して救われたとき、祖母は言いました。
 「絶望した人を死から引き離して、苦難の道につれ戻すことほど残酷なことはない」

 あのとき祖母は、自分の未来が反映されているという予感にでも駆られていたのか?
 今まさに祖母は、同じことをやろうとしていたのでした。この場面は実に痛ましい。

 やがて、死に向かう祖母の様子が、厳粛さと滑稽さをないまぜにして描写されます。
 この断章における克明な筆致は、プルースト文学の白眉と言われています。

 さいごに。(維新よ、お前もか)

 大阪万博の会場建設費が、当初の1250億円から、2350億円と倍増しました。
 さらに、それ以外の経費を含めると、少なくとも3187億円はかかるとのことです。

 「身を切る改革(?)」を標榜する維新は、「それならやめる」と言うべきでした。
 それなのに、自民にすり寄って一緒に補正予算に賛成するとは。維新、終わった!

nice!(3)  コメント(1) 
共通テーマ:

失われた時を求めて11 [20世紀フランス文学]

 「失われた時を求めて6」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)


 記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
 20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。

 第三篇「ゲルマントのほう」は、1920年から21年にかけて刊行されました。
 第6巻には、その第一部の後半と第二部の冒頭が収録されています。


失われた時を求めて(6)――ゲルマントのほうII (岩波文庫)

失われた時を求めて(6)――ゲルマントのほうII (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2013/11/16
  • メディア: 文庫



 「私」はサン=ルーに誘われ、初めてヴィルパリジ侯爵夫人のサロンを訪れました。
 侯爵夫人は栄えある名家に生まれながら、なぜか現在の社交界で恵まれていません。

 サロンには、ユダヤ人のブロックや元娼婦のスワン夫人など、三流の人物も来ます。
 侯爵夫人には、かつて何かがあったようなのですが、それがなかなか分かりません。

 元大使のノルポワ氏がサロンにいるのは、侯爵夫人と20年来の恋人だからです。
 氏はサロンを盛り立てようとして、大使時代の多くの知り合いを招いていました。

 ヴィルパリジ侯爵夫人は、落ちぶれてもなお、一生懸命に一族の血筋自慢をします。
 大叔母が院長をしていた修道院には、国王の息女さえ入れなかったと言うのです。

 「王家は身分が低い者と婚姻をしたあと、充分に代を重ねていなかったからです。」
 「王家が? どういうことです?」「メディチ家と縁組をしたからですよ。」(P58)

 「私」がサロンに来た目的はもちろん、憧れのゲルマント公爵夫人に会うためです。
 かねがね公爵夫人が知的で座談の名手だと聞いていたので、期待をしていたのです。

 ところが、ゲルマント公爵夫人は、くだらないおしゃべりばかりをしていました。
 やがて、文学を理解しない夫人の愚かさに、「私」は百年の恋も冷めてしまい・・・

 この巻のほとんどは、ヴィルパリジ侯爵夫人のサロンの描写に費やされています。
 そして描写の緻密さは、魂が再びその場を訪れて、たどり直しているかのようです。

 この場面での読みどころは、「私」がゲルマント公爵夫人に失望する場面でしょう。
 公爵夫人は、軽佻浮薄な言動によって、まとっていた神秘のベールが剥がれました。

 例えば夫人は、ある夫人を「巨大な草食動物」と呼ぶのです。品がありません。
 「面くらいましたわ、雌牛の群れが帽子をかぶってサロンに入ってきて・・・」

 さて、途中で興味深い挿話が入ります。シャルル・モレル青年の訪問についてです。
 彼は、前年に亡くなった大叔父の、従僕の息子であって、遺品を届けに来ました。

 ところが遺品の中には、エルスチールの描いた夫人の肖像画の写真があったのです。
 それは、若かりしスワン夫人を描いたもので、「私」がバルベックで見た絵でした。

 モレルは言います。その婦人は、「私」が最後に大叔父を訪れたときにいた人だと。
 「私」が「バラ色の服の婦人」として記憶していたのは、スワン夫人だったのです!

 と、まるで推理小説のように、少しずついろいろなことが分かっていきます。
 読みながら、「それとこれが繋がっていたのか」と、伏線の巧みさに驚きました。

 また、あの練り上げられた表現、独特の回りくどい美文は、相変わらず健在です。
 次の文は、他人が作る自分のイメージに対するギャップの大きさをたとえた文です。

 「いつも鏡を見て、自分の美しい顔と立派な上半身に見とれている人は、そのレント
 ゲン写真を見せられたら、自分のすがたと言われた数珠つなぎの骨を前にして、展覧
 会に出かけた人が若い女性の肖像を前にしてカタログに『横たわるヒトコブラクダ』
 とあるのを読んだときと同様、なにかの間違いではないかと思うにちがいない。」
 (P224)

 こういう文章が出てくるたびに、何度も読み返して味わうので、時間がかかります。
 しかし、まさにこういう文章がプルーストの醍醐味であり、病みつきになります。

 ところで、この巻の中盤でシャルリュス男爵が登場します。
 次回は、シャルリュス男爵の不可解な行動を中心に紹介したいと思います。

 さいごに。(またもaudibleネタ)

 「失われた時を求めて」のような長大で読みにくい作品こそ、audibleで聴きたい。
 しかし、海外文学はほとんど無いのです。著作権の関係か? 人気が無いからか?

 ドストの「罪と罰」なら辛うじてありますが、1935年の米川正夫訳なのです!
 海外文学推しの私にとっては、そこがかなりもの足りないです。

nice!(4)  コメント(3) 
共通テーマ:

失われた時を求めて10 [20世紀フランス文学]

 「失われた時を求めて5」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)


 記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
 20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。

 第三篇「ゲルマントのほう」は、1920年から21年にかけて刊行されました。
 今回は、その第一部の中盤を紹介します。舞台は、再びパリに移りました。


失われた時を求めて(5)――ゲルマントのほうI (岩波文庫)

失われた時を求めて(5)――ゲルマントのほうI (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2013/05/17
  • メディア: 文庫



 兵営の町ドン・シエールで、美男のサン=ルーは仲間からたいへん愛されています。
 ただし、彼がユダヤ人ドレフュス大尉の無実を信じている点で、孤立していました。

 また、サン=ルーは愛人に振り回されながらも、彼女とは縁を切れずにいました。
 「あれには、なにやら恒星から発するようなもの、神託を告げる面さえあるんだ。」

 サン=ルーがパリにやってきたので、「私」は彼の愛人を交えて昼食をとりました。
 ところが、彼の人生のすべてとなっている愛人は、なんと、ラシェルだったのです。

 彼女は数年前に売春宿で、わずか二十フランで身を売っていたユダヤ女で・・・
 それなのに今、サン=ルーは彼女に、百万フラン以上を貢いでいて・・・

 この展開には驚きました。そして、実に興味深かったです。
 なるほど。サン=ルーがドレフュス派だったのは、ラシェルの影響だったのですね。

 「私」が最初にラシェルに会ったのは、ブロックに連れて行かれた安い娼家でした。
 この辺(第3巻P329~)を、今回改めて、じっくりと読み直しました。

 「ねえ、あなた、ユダヤ女ですのよ、そりゃあもう天にも昇る心地ですわよ!」
 女主人が「私」にそう言って勧めたのは、浅黒くてきれいとは言えない女でした。

 「お客がいたら呼んで」という彼女は、「私」にとって人間ではありませんでした。
 当時の彼女は、夜になるとルイ金貨1枚を稼ぐためにやってくる存在でしたが・・・

 「娼家で私に二十フランでどうかと差し出され、二十フランを稼げればいいと思って
 いる女としか見えなかったときには、二十フランの価値もないと思えた女でも、のっ
 けから知り合いたいという好奇心をそそる捉えがたく引き留めがたい未知の存在だと
 想像してしまうと、百万フラン以上の価値を備え、家族よりも、人に羨まれるどんな
 地位よりも価値あるものになりうる。」(P345)

 「私」が二十フランで得たものを、サン=ルーは百万フランで手にしています。
 二十フランは約1万円、百万フランは約5億円。なんという人生のいたずら!

 ところで、サン=ルーとラシェルの関係は、スワンとオデットの関係に似ています。
 ただし、サン=ルーはラシェルと結婚する気が無い点で、スワンよりしたたかです。

 さて、祖母はバルベック滞在時には、「私」の保護者で頼りになる存在でした。
 それが、「私」がドン・シエールに行ってしまうと、急に心細い存在になるのです。

 「私」がパリに帰る決心をしたのも、電話の祖母の声に深い悲しみを感じたからです。
 そしてパリで再会した祖母は、病魔に打ちひしがれたような老婆となっていて・・・

 「ゲルマントのほうⅠ」は、岩波文庫版の第6巻に続きます。
 サン=ルーとラシェルの関係はどうなるのか? 祖母は大丈夫か? 気になります。

 さいごに。(audible)

 現在、アマゾンのオーディオブックaudibleを使っています。1か月間のお試しです。
 「そして、バトンは渡された」などを聞きましたが、評判通り朗読がとてもうまい。

 ただし、私の読みたい世界文学はほとんど無くて、あっても訳が古いのでイマイチ。
 聴きたい本が「聴き放題」の中にある、という人にはオススメできます。

nice!(4)  コメント(1) 
共通テーマ:

失われた時を求めて9 [20世紀フランス文学]

 「失われた時を求めて5」 マルセル・プルースト作 吉川一義訳 (岩波文庫)


 記憶の中から失われた時を紡ぎ出して、人生の本質を考察する長大な小説です。
 20世紀を代表する作品であり、世界一長い小説としてギネスに登録されています。

 第三篇「ゲルマントのほう」は、1920年から21年にかけて刊行されました。
 今回は、その第一部の前半を紹介します。舞台はパリと兵営ドン・シエールです。


失われた時を求めて(5)――ゲルマントのほうI (岩波文庫)

失われた時を求めて(5)――ゲルマントのほうI (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2013/05/17
  • メディア: 文庫



 パルベックから戻ったあと、語り手の「私」たち一家は、パリへ引っ越しました。
 ゲルマントの館にあるアパルトマンに入り、ゲルマント家との交流が始まりました。

 コンブレ―には二つの散歩道があり、その一方がゲルマントの館に続いていました。
 こうして「私」は思いがけなく、憧れの「ゲルマントのほう」へ歩き始めたのです。

 ラ・ベルマの「フェードル」の切符が手に入って、「私」はオペラ座に行きました。
 以前失望したラ・ベルマの演技に、賞賛の念を抱いたことを、不思議に思いました。

 「私」は考えます。かつてはその才能に期待し、それを見つけようとしていました。
 しかしその才能は役と一体に溶け合っていて、それを分けることはできないのだと。

 「(舞台での身振りは)当初の意図的痕跡をぬぐい去られ、一種の放射状の輝きのな
 かに溶けこんで、フェードルという登場人物のまわりに豊饒で複雑なさまざまな要素
 を脈打たせていたが、それに魅了された観客は、それを役者の成果とは思わず、ひと
 つの生命の発露と受けとるのだ。」(P109)

 遅れて来たゲルマント公爵夫人が、ゲルマント大公妃のベニョワール席に入りました。
 二人は従妹同士ですが、簡素を好む侯爵夫人と、派手な装いの大公妃は対照的でした。

 やがて、侯爵夫人は「私」の姿を見つけ、手を挙げて友情の合図を送ってくれました。
 「私」はゲルマント公爵夫人に感謝するとともに、彼女を慕うようになったのです。

 「私」は、毎朝ゲルマント公爵夫人の散歩コースにわざとらしく現れ、挨拶をし・・・
 「私」は、侯爵夫人に対する自分の気持ちを、サン・ルーから伝えてもらおうと・・・

 この巻では、ゲルマント公爵夫人への憧れが、いっきに高まる場面が読みどころです。
 そして「私」はストーカーまがいの行動をとって、侯爵夫人から迷惑がられるのです。

 このとき「私」は20歳ぐらいでしょう。侯爵夫人への思いは恋に対する恋のようです。
 侯爵夫人自身への思いというより、「ゲルマント」という名前に対する憧れが大きい。

 それは、自分がブルジョア階級であり、伝統ある大貴族ではないからでしょうか。
 「私」は自分の思いを伝えるため、サン・ルーのいるドンシエールを訪問さえし・・・

 サン・ルーに、侯爵夫人の写真をもらえないかと、遠回しに頼むところは面白いです。
 サン・ルーが拒んだのは、おそらく「私」のためにならないと感じたからでしょう。

 さて、第二篇「花咲く乙女たちのかげに」までは、コミック版が出ていました。
 コミック版を並行して読み進めることで、物語の世界がとてもよく頭に入りました。

 第三篇「ゲルマントのほう」からは、コミック版が出ていません。ではどうするか?
 私は、巻末にある「場面索引」を使うことをオススメします。これは実に便利です。

 邪道かもしれませんが、私は本文を読む前に「場面索引」にひととおり目を通します。
 そうすることで、あちこちに飛ぶ物語の筋が、格段にとらえやすくなるからです。

 さいごに。(インフルエンザ)

 先週は暑かったのに、急に寒くなりました。秋がなくて、いっきに冬が来ました。
 インフルエンザが流行り始めました。免疫が無くなっているので、注意したいです。

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:

チボー家の人々7 父の死 [20世紀フランス文学]

 「チボー家の人々」 マルタン・デュ・ガール作 山内義雄訳 (白水Uブックス)


 3人の青年たちが成長していく10年を、世界情勢を交えながら描いた大河小説です。
 全8部(新書で13巻)です。第6部「父の死」は1929年の刊行です。


チボー家の人々 7 父の死 (白水Uブックス 44)

チボー家の人々 7 父の死 (白水Uブックス 44)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1984/03/01
  • メディア: 新書



 アントワーヌがジャックを迎えに行っているころ、チボー氏は死の床にありました。
 死を前にして恐怖するチボー氏は、ヴェカール司祭に自分の苦しみをぶちまけます。

 「主だと? 何を言う? なんのおたすけだ? ばかげている! ことのおこりは、
 その主にあるんだ! その主がしむけたことなのだ・・・」(P16)

 「あなたのような信者なら、安心して世を去れます」と言う司祭に、断固言います。
 「黙れ! 信者だと? じょうだんじゃない。わしはけっして信者ではない。」と。

 死を目の前にして、チボー氏は自分の一生を素直に振り返り、むせび泣きました。
 司祭が言うことは気休めにしか聞こえず、彼はなりふりかまわず喚き散らしました。

 アントワーヌが着いたとき、チボー氏は腎臓が詰まって、ベッドに倒れていました。
 それを抱き起したのはジャックです。しかし、父にそれが分かったのかどうか。

 チボー氏は苦しみ続けます。ジャックは、なぜモルヒネ注射をやめたのか聞きます。
 アントワーヌは答えます。排泄が止まったから、それをやると殺すことになる、と。

 苦労して父を入浴させましたが、小康状態もつかの間、再び発作が始まりました。
 苦しむ父を前に、ジャックは「なんとかならないのか」とアントワーヌに言います。

 「方法がひとつある」とアントワーヌは答えます。「このおれにはできるんだ」と。
 そして、ふたりがとった行動は・・・「お父さん、楽にしてあげますから」・・・

 第6部「父の死」は、前半の最後を飾る巻であり、前半のクライマックスです。
 父チボー氏の最期を描き、たいへん読み応えのある巻となっています。

 これまで厳粛だった父が、子どものように泣きわめく姿に、親近感を覚えました。
 死を前にしてやっと自分の欺瞞に気付き後悔する場面に、人生の悲哀を感じました。

 「利己主義! 虚栄! 金持ちになりたい、支配してやりたいという渇望! 人から
 尊敬され、何か一役演じたいためのひけらかしの慈善! 不純、見せかけ、虚偽——
 そうだ、虚偽だ・・・ああ、なんとかしてこれらのすべてを消し去りたい」(P21)

 父の死は、ふたりの兄弟にとても大きな衝撃を与えました。
 弟のジャックは虚無の念に襲われ、死の前に生は無意味だと考えました。

 「人はいったい、なんで望んだりするのだろう? いったい何を望むというのだろう!
 人生はすべてはいかにも愚劣だ。何ものも、ぜったいに何ものも——人にして死とい
 うものを知ったが最後——もはや存在の意味がないのだ!」(P212)

 一方、医者である兄のアントワーヌは、ここで大きな決断をしました。
 それは、第4部「診察」において、彼が最後まで賛成できなかったことなのです。

 今やアントワーヌは、罪の意識や神への信仰について、根本から考え直しています。
 最終章における、アントワーヌとヴェカール司祭との対話は、とても味わい深いです。

 「あなたがた、カトリックのかたがたが罪と呼んでおいでのもの、それはぼくにとって
 むしろ反対に、溌溂としたもの、力づよいもの、また本能的な—―ためになるもの、と
 いったように思われるんです!」(P253)

 さて私は、これまでチボー家を支配していた父の死をもって、前半の終了と考えます。
 このあと、第7部「1914年夏」が4巻にわたって続きます。第一次大戦が始まります。

 さいごに。(ああ、恥ずかしや、恥ずかしや)

 そういえば、以前から気になっていたのです。レジでの「ワオーン」という変な音が。
 「あんな音をたてて、よくこの人は恥ずかしくないものだ」と、感心していたのです。

 それなのに、まさかこの私に、あんな恥ずかしい音を出させるなんて!
 おのれ、WAONめ! 絶対に許さん。

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:

チボー家の人々6 ラ・ソレリーナ [20世紀フランス文学]

 「チボー家の人々」 マルタン・デュ・ガール作 山内義雄訳 (白水Uブックス)


 3人の青年たちが成長していく10年を、世界情勢を交えながら描いた大河小説です。
 全8部(新書で13巻)です。第4部「ラ・ソレリーナ」は1928年の刊行です。


チボー家の人々 6 ラ・ソレリーナ (白水Uブックス 43)

チボー家の人々 6 ラ・ソレリーナ (白水Uブックス 43)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1984/03/01
  • メディア: 新書



 父のチボー氏は死の床にあり、医者のアントワーヌは余命わずかと診断しています。
 ジャックは3年前に家を出ています。そして、父は彼が自殺したと思い込んでいます。

 ところがアントワーヌは、ジャックがスイスで小説を発表したことを知りました。
 タイトルは「ラ・ソレリーナ(イタリア語で妹)」といって、自伝風の小説でした。

 アントワーヌは、その作品を読むことによって、ジャックの家出の原因を探り・・・
 彼がそこで読んだ衝撃の事件とは? その作品のタイトルに隠された意味は?

 第6巻「ラ・ソレリーナ」のクライマックスは、小説内小説「ラ・ソレリーナ」です。
 これを読み解くことによって、ジャックについてのさまざまな真相が分かります。

 推理小説的で面白い部分です。ただ、ジャックの家出には他の理由もありそうです。
 それが分かるのが、家出前日にジャックが、ジャリクール教授を訪問した場面です。

 教授は彼に言いました。「わたしはからっぽだ、もうおしまいの人間なのだ!」と。
 「書物を捨てるがいい。本能のままにやりたまえ!」と、入学前の彼に言うのです。

 「文明のひきずっているすべてのもの、良きも悪しきも、思いもよらないようなもの、
 二度とあり得ないというようなもの、すべてにしっかり目をあける! そうしたあと
 で、人間なり、社会なりーーまたあなた自身なりにたいして、はじめて口がきけるの
 だ!」(P198)

 これらの言葉によって、ジャリクール教授の印象は深く刻まれます。
 作者デュ・ガールは、このへんのことを最も伝えたかったのではないでしょうか。

 ただし、自分の道を歩み始めたジャックは、決してカッコよくはありません。
 苦労してきた兄のアントワーヌと比べたら、ただの甘ったれの小僧ですよ。

 ところで、ローザンヌで付き合っている怪しげな男たちは、何者かと思ったら・・・
 それが〇〇主義者たちだということに、私は「解説」を読んで初めて気付きました。

 さて、この巻は前巻「診察」の種明かしという役割を持っています。
 そして、次の巻「父の死」で、この長大な物語は前半を終わります。

 さいごに。(見放された自民)

 2名を補う東京都議選で当選したのは、都民ファーストの会と立憲民主党でした。
 自民党は僅差で落選。公明党との選挙協力を、復活させたのがいけなかったのでは?
 (お隣の埼玉でトンデモ条例を推し進めた自公への批判があったという指摘も)

 ところで、2位の立憲民主党の鈴木氏は、共産党の応援まで受けていたといいます。
 これはかえって鈴木氏にマイナスだったはずですが、それ以上に自民がダメだった!

nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:

チボー家の人々5 診察 [20世紀フランス文学]

 「チボー家の人々」 マルタン・デュ・ガール作 山内義雄訳 (白水Uブックス)


 3人の少年たちが成長していく10年を、世界情勢を交えながら描いた大河小説です。
 全8部(新書で13巻)。第4部「診察」は1928年刊行で、最終巻は1940年刊行です。


チボー家の人々 5 診察 (白水Uブックス 42)

チボー家の人々 5 診察 (白水Uブックス 42)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1984/03/01
  • メディア: 新書



 この巻は、タイトルの「診察」が示す通り、アントワーヌの一日が描かれています。
 1913年10月13日の月曜日。「美しい季節」から3年、アントワーヌはもう32歳です。

 すでに信頼される医者となっており、さまざまな患者を相手に忙しく働いています。
 合間に父を診に行きますが、チボー氏の病は重く、余命あと2か月ほどのようです。

 第一次世界大戦間近の不穏な空気の中で、彼は自分の仕事を淡々とこなしています。
 かつて激しい恋に落ちた相手ラシェルのことを、すっかり吹っ切っているようです。

 気になるのは、弟のジャックが3年前に家を出ていて、ここには登場しない点です。
 しかも、父はジャックが死んだと思っているようです。いったい、何があったのか?

 ジャックは2年前、義妹のジーゼルにだけ、ロンドンにいることを示唆しています。
 ジャックを愛するジーゼルは、いつかロンドンに出て彼を探そうと考えています。

 この巻を最後まで読んでも、結局、ジャックの身に何があったのかは分かりません。
 ジャックはおそらく物語全体の主人公ですから、いつかは明かされるはずですが。

 この巻でのクライマックスは、同僚の医師ステュドレルとの安楽死の議論でしょう。
 アントワーヌは、ステュドレルの意見を正しいと感じながらも、賛成はできません。

 致死量の注射をうつだけで、赤ん坊もその両親も楽にしてあげられるのですが・・・
 アントワーヌはしかし、「生命の尊重」の観点から、その行為を完全に否定します。

 ところが彼は、さきほどネコの子たちを殺すよう言いつけたことを思い出すのです。
 この展開は、とてもよくできています。結局その日のうちに、赤ん坊も死んで・・・

 さて、この巻はわずか150ページほどでした。
 チボー家の変化を暗示するために挿入しただけの、つなぎの巻だったのでしょうか。

 さいごに。(まさか転ぶとは)

 先日、町内会対抗の運動会がありました。56歳の私は今年もリレーのアンカーです。
 4チーム中4位でバトンをもらって、全力疾走したら、なんと転んでしまいました。

 あとからビデオで見たら、まるでスローモーションのようによろけて転んでいました。
 もちろんビリでゴール。これを見て来年からは若い人が走ってくれるといいのだけど。

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:

チボー家の人々4 美しい季節Ⅱ [20世紀フランス文学]

 「チボー家の人々」 マルタン・デュ・ガール作 山内義雄訳 (白水Uブックス)


 3人の少年たちが成長していく約10年を、世界情勢を交えながら描いた大河小説です。
 全8部(新書で13巻)。第3部「美しい季節」は1923年刊行。最終巻は1940年刊行。


チボー家の人々 4 美しい季節 (白水Uブックス 41)

チボー家の人々 4 美しい季節 (白水Uブックス 41)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1984/03/01
  • メディア: 新書



 巻のタイトル「美しい季節」とは、彼らの青春と恋の季節を象徴しています。
 アントワーヌとラシェルの恋は? ジャックとジェンニーの交流も気になります。

 しかし、第4巻「美しい季節Ⅱ」で、一番強烈な印象を残すのは、ジェロームです。
 ジェロームはダニエルの父で、この6年間家を放って愛人ノエミと暮らしています。

 ところが、ノエミが危篤となってカネを使い果たすと、妻に泣きついてくるのです。
 妻を電報で呼び出して、借金を払わせて・・・しかも、これだけで終わりません。

 かつての恋人リネットを見つけ出すと、手に入ったカネを渡し年金の約束もします。
 しかも送金は、妻にさせようと考えているのです。クズ男、ここに極まれり!

 しかも本人は、リネットを救ったことで、良いことをしている気でいるのです。
 クズ男も、ここまでくるとかえって立派です。ある意味、愛すべき存在ですよ。

 「みんなはおれを悪い人間だと言っている。みんなは知らないんだ。おれは、自分
 の行いにあらわれているのより、ずっとずっとよい人間なんだ」(P162)

 ああ、フォンタナン夫人。クズ男ジェロームを甘やかしている夫人も夫人ですよ。
 そういうところを見て育ったら、長男ダニエルだって、そりゃぐれるでしょうよ。

 さて、この巻にはもうひとりの強烈なクズ男が登場します。それはイルシュです。
 イルシュは、ラシェルのかつての情夫ですが、これがとんでもない悪党なのです。

 ラシェルにはかつてクララという友人がいて、その父親(?)がイルシュでした。
 ところがイルシュは、クララと・・・ラシェルの兄アーロンの死もまた・・・

 イルシュは怪物です。イルシュに比べたら、ジェロームがかわいく見えてきます。
 それなのに、ラシェルはイルシュから離れられません。こういう奴が一番ヤバい。

 一方、ジャックとジェンニーの恋は、あまりにも純真で、なかなか進展しません。
 この2人が物語の本道なのに、悪党二人に挟まれて、あまり存在感がありません。

 さて、美しい季節は短い。この巻のラストで、アントワーヌは失恋しています。
 しかし次巻「診察」では、仕事に没頭することで完全復活するそうです。えらい。


チボー家の人々 5 診察 (白水Uブックス 42)

チボー家の人々 5 診察 (白水Uブックス 42)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1984/03/01
  • メディア: 新書



 さいごに。(メガネを外せば)

 「増税メガネ」がすっかり世に浸透しました。今年の流行語大賞の最有力候補だとか。
 それにしても、「レーシックにすればいいのか」という首相の切り返しはうまかった!

 レーシックにして、メガネを外せばイケメンだということを、我々に気付かせたので。
 「増税は首相のせいではなくメガネのせいだ」と言う人まで出てくる始末です。(笑)

kisidameganenasi.jpeg

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:

チボー家の人々3 美しい季節Ⅰ [20世紀フランス文学]

 「チボー家の人々」 マルタン・デュ・ガール作 山内義雄訳 (白水Uブックス)


 3人の少年たちが成長していく約10年を、世界情勢を交えながら描いた大河小説です。
 全8部(新書で13巻)。第3部「美しい季節」は1923年刊行。最終巻は1940年刊行。


チボー家の人々 3 美しい季節 (白水Uブックス 40)

チボー家の人々 3 美しい季節 (白水Uブックス 40)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1984/03/01
  • メディア: 新書



 「少年園」から5年の歳月が経っていました。ジャックは20歳になっていました。
 兄のアントワーヌは医者として、親友のダニエルは画家として、歩み始めています。

 彼は、受験した高等学校には落ちている方がいいと、アントワーヌに言いました。
 「なぜさ?」と聞く兄に、彼は「すべてのものからのがれるために!」と答えます。

 「ぼくにはもう、ほんとに出発することなんかできやしないんだ」と言うジャック。
 結局第3位で見事合格しますが、兄やダニエルの生き方に違和感を持っていました。

 ダニエルは、ジャックの合格を祝うため、彼とアントワーヌを晩餐会に誘いました。
 ダニエルは父親譲りの女たらしになっていて、美しい店員リネットを誘惑します。

 ジャックは、その場の雰囲気にどうしてもなじめません。
 やがて、兄がいつまでも来ないことを心配し、急に不吉な予感にとらわれました。

 そのころアントワーヌは、人生の大きな試練に直面していたのです。
 交通事故で重傷を負ったシャール氏の娘に、生まれて初めて大手術を施して・・・

 ジャックを中心に、兄アントワーヌと、親友ダニエルが、自分の道を歩み始めます。
 巻のタイトル「美しい季節」とは、彼らの青春と恋の季節を象徴しているようです。

 実際、ダニエルはリネットを誘惑し、アントワーヌはラシェルと出会いました。
 ジャックとジェンニーは、まだまだこれからです。この先、どうなっていくのか?

 さて、ここで気になるのは、何度も引用されるジッドのエッセイ「地上の糧」です。
 ジッドが青年に向けて投げかけた数々の熱い言葉は、ダニエルに直撃したようです。


地の糧 (新潮文庫 シ 2-5)

地の糧 (新潮文庫 シ 2-5)

  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2023/04/05
  • メディア: 文庫



 (ダニエルは)「ふたたび最初の一ページから、ゆっくり読みはじめた。彼には、い
 まこそ厳粛なときであり、ひとつの仕事、ひとつのふしぎな発芽が、自分の心のもっ
 とも深いところで行われていることが感じとられた。明け方、最後のページを読みお
 わったとき、彼は、自分が、いままでとちがった目で人生をながめていることに気が
 ついた。」(P33)

 ジッドと言えば「背徳者」の人。要するに「地の糧」は、不良の本なのではないか?
 文庫の紹介には、「欲望を肯定し情熱的に生きることを賛美する」とありますし。

 ジッドの本が、ダニエルの持つ良からぬ血を、湧き立たせたのは確かなようです。
 プレイボーイ気取りのダニエルには、かつての純な少年の面影も魅力もありません。

 その一方で、ジャックとジェンニーの交流は、たどたどしくて応援したくなります。
 リスベットと荘厳な儀式を経ているジャックは、本物の愛を見い出すのでしょうか?

 さいご(まったく懲りない私である)

 家族で食事に行きました。それが、デザートバイキング付きディナーだったのです。
 メインディッシュもおいしかったのですが、デザートも充実していました。

 私が気に入ったのは、自分でクレープが作れるコーナーです。
 生クリームをたっぷり入れていくつも作り・・・翌朝はまたも便通が・・・

IMG_0342-2.jpg

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:

チボー家の人々2 少年園 [20世紀フランス文学]

 「チボー家の人々」 マルタン・デュ・ガール作 山内義雄訳 (白水Uブックス)


 3人の少年たちが成長していく約10年を、世界情勢を交えながら描いた大河小説です。
 全8部(新書で13巻)。第2部「少年園」も1922年刊行、最終巻は1940年刊行です。


チボー家の人々 2 少年園 (白水Uブックス 39)

チボー家の人々 2 少年園 (白水Uブックス 39)

  • 出版社/メーカー: 白水社
  • 発売日: 1984/03/01
  • メディア: 新書



 ジャックが、クルーイ感化院(少年園)に入れられてから、9か月が経ちました。
 ジャックは15歳に、兄アントワーヌは24歳になりました。兄は弟を心配しています。

 というのも、ジャックはダニエルに送った手紙で、体裁を取り繕っていたからです。
 弟を救い出そうと考えたアントワーヌは、父の許可も取らず、少年園に行きました。

 アントワーヌが少年園に着いたときは、弟の部屋はこざっぱりしていて清潔でした。
 ところが、汽車に乗り遅れたアントワーヌが不意に戻ると、汚くなっていたのです。

 午後の時間、兄弟で散歩をしながら話すうちに、少しずつ真相が見えてきて・・・
 アントワーヌは、二週間のうちに自由にしてやると、ジャックに約束して・・・

 第二巻「少年園」の前半は、アントワーヌが弟を救い出す場面が描かれています。
 少年園はチボー氏の創設ですが、そこでの少年の扱いのひどさが強調されています。

 たとえば園長は、園では処罰を行わず説得で更生させると、自慢げに話しています。
 しかしその説得は、飢えた少年にごちそうの匂いを嗅がせながら行うと言うのです。

 9か月間の監房生活で、ジャックは肉体的・精神的な圧迫を受けてきたのでしょう。
 アントワーヌと再会したとき、家出事件当時の快活さはすっかり失われていました。

 ボーイたちの悪行を、兄にさえ打ち明けられないジャックは、本当に傷ましいです。
 精神的に追い込まれ、無気力状態となって、自由になることさえ欲しませんでした。

 家に帰ってきても、まだおどおどしているジャック。
 そんな弟に、アントワーヌが投げかける言葉が、印象に残りました。

 「われわれチボー家のものは、ほかの人たちとはちがっている。われわれは、ほかの
 人たちより、もっと余分のものを持っている。そして、ぼくは、それこそふたりが、
 チボー家の人間だからにほかならないとさえ思ってるんだ。」(P164)

 さて、「少年園」での読みどころは、むしろ少年園を出たあとの後半にあります。
 ジャックとダニエルの恋が始まるからです。やっぱり面白いのは、恋ですよ、恋。

 チボー家の家番が卒中で倒れて、急遽その19歳の姪リスベットがやってきました。
 リスベットは、いつのまにかアントワーヌと関係を持つようになっていました。

 面白いことに、アントワーヌは彼女に、ジャックを誘惑するよう唆しているのです。
 おそらくこれは、ジャックに同性愛の疑いがあることを、心配してのことでしょう。

 ジャックはリスベットに愛着を抱くものの、やがてリスベットは戻ってしまいます。
 次にリスベットが来るのは、家番のおばが死んだときでした。

 とうとうジャックとリスベットは関係を持つのですが、この場面が実に印象的です。
 おばの遺体とジャックの間を往復する彼女は、死と生の世界を行き来するようです。

 そして、死者を弔いながらジャックと結合する性愛の儀式は、荘厳でさえあります。
 しかもそのとき彼女はおじとの結婚が決まっているので、禁忌を犯しているのです。

 ジャックにとってこの経験は、一生に一度の決定的な出来事になったはずです。
 その点、ダニエルの体験といかに違うことか。

 さて、ここまで読んで、ジャックを中心に物語が進行していることに気づきました。
 この先、彼らはどうなるのでしょうか。特にジャックは、どんな運命をたどるのか?

 さいごに。(ジャックダニエル&コーラ)

 ジャックダニエルというウイスキーがあります。若いころよく飲みました。
 アメリカのテネシーウィスキーで、オールドNO.7がスタンダードな商品です。

 最近、ジャックダニエルのコーラ割りで「ジャックコーク」なる商品が出ました。
 試しに飲んでみたら、飲みやすくておいしかったです。クセになりそうな味です。


ジャックダニエル&コカ・コーラ テネシーウイスキー 7% [チューハイ350ml×24本]

ジャックダニエル&コカ・コーラ テネシーウイスキー 7% [チューハイ350ml×24本]

  • 出版社/メーカー: コカ・コーラ
  • 発売日: 2023/04/10
  • メディア: 食品&飲料



 アマゾンのリンクは、あくまで参考に。ケースでの大量買いはお勧めしません。
 スーパーで見かけたら一缶だけ買うのがオススメです。見かけなかったら買わない。

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:
前の10件 | 次の10件 20世紀フランス文学 ブログトップ