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世界文学の流れをざっくりとつかむ18 [世界文学の流れをざっくりとつかむ]

≪第5章≫ 中世東洋

1 中世中国文学(李白と杜甫)

 南北朝時代の500年代に、梁の昭明太子によって「文選(もんぜん)」全30巻が編纂されました。これは、隋唐以前の代表的な詩文の集大成です。「文選」は科挙で使用され、のちの知識人たちに重視されたことで、伝統的な詩文を重んじ小説などの虚構は蔑視されるという傾向に拍車がかかりました。

 618年に唐が建国されました。唐は中国史上でも最も勢い盛んだった時代で、世界的に見ても当時最大の国家でした。唐時代の特徴は、科挙によって国家規模で詩が広められ、知識人は詩を鑑賞することはもちろん、詩を作ることさえできるようになっていたということです。そのため、詩の規則は急速に整備され、近体詩(唐詩)が確立されました。これは中央によって進められたため、初期には唐詩と政治が結びつきましたが、やがて唐詩は政治の装飾となっていきました。その後の唐詩は、むしろ宮廷から離れたところで発達していきました。特に盛唐(700年代中盤・玄宗と楊貴妃の時代)に登場した李白と杜甫は、大きな役割を果たしました。

 李白は詩仙と呼ばれています。これまでの詩を集大成した人物です。豪放磊落で自由奔放な性格であり、ダイナミックでスケールの大きな詩を詠みました。主に絶句に優れています。酒と自然と友を愛し、阿倍仲麻呂と親交を結んだことでも知られています。「静夜思」「黄鶴楼送孟浩然之広陵」「子夜呉歌」「月下独酌」などの傑作があります。

 杜甫は詩聖と呼ばれています。李白と同時期に活躍し、李白と並び称せられています。李白がこれまでの時代を集大成した人なら、杜甫は新しい時代の詩を作った人です。社会の矛盾と人生の苦悩を詠み、戦乱の様子などをありのままに伝えました。主に律詩に優れています。「絶句」「春望」「月夜」「登岳陽楼」などの傑作があります。

 ほかにも、詩仏と呼ばれる王維がいます。自然派の詩人で、「鹿柴」「竹里館」などの傑作があります。孟浩然も自然派の詩人です。「春暁」は日本でたいへん有名になりました。唐詩は盛唐がピークでしたが、800年前後の中唐でも、白居易などが活躍しました。白居易の詩は分かりやすい内容であるため、平安時代の日本で広まりました。特に玄宗皇帝と楊貴妃のロマンスを詠んだ「長恨歌」は、当時の日本でも愛唱され、「源氏物語」などに影響を与えました。

 さて、韓愈は白居易と同時期の中唐時代に登場した詩人ですが、散文においてより多くの名声を得ました。散文はこれまでも、「論語」や荘子など思想書や「史記」などの歴史書などがありましたが、中国文学は基本的に詩を中心に発展してきました。この中国文学史のひとつの転換点に立つのが韓愈です。韓愈の書く散文は、歴史で取り扱わないような個人的な出来事を描写し、それによって人生の諸問題を考察していました。このような散文は、以後の文学潮流の一つとなっていきました。

 しかし実学を中心に発展した中国では、知識人たちが虚構を蔑視していたため、小説類はなかなか発展しませんでした。唐代には伝奇小説が流行りましたが、正統的でないものとして軽視されていました。たとえば「遊仙窟」は中国では残らず、日本の遣唐使が持ち帰った本によって伝えられています。また、元稹の「鶯鶯伝(おうおうでん)」は、北宋時代の「太平広記」に記されたことで辛うじて残っています。中国におけるフィクションの発展は、11世紀以降に町人が都市部に進出し、講談や演劇を求めるようになるまで待たなければなりません。

 次回は、中世日本の文学について述べたいと思います。

 さいごに。(ダジャレをやめて)

 若かったころ、50代の先輩と飲みに行くと、きまっておやじギャグを聞かされました。
 その人は「オレはみんなを楽しませている」とか言って、周りをうんざりさせました。

 しかし最近、私も同じ過ちをおかしているのではないかと、心配になってきました。
 娘に「ダジャレはやめて」とよく言われるので。無意識のうちにダジャレを言ってる?

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