SSブログ

アルテミオ・クルスの死1 [20世紀ラテンアメリカ文学]

 「アルテミオ・クルスの死」 フエンテス作 木村榮一訳 (岩波文庫)


 一代で成り上がったアルテミオ・クルスの生涯と、その時代背景を描いた物語です。
 1962年に出て、ラテンアメリカ文学ブームの口火を切ることとなった作品です。


アルテミオ・クルスの死 (岩波文庫)

アルテミオ・クルスの死 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2019/11/16
  • メディア: 文庫



 メキシコの経済界の大立者であるアルテミオ・クルスは、ある日突然倒れました。
 病の床にあって、時々朦朧としながらも、自分の生涯を少しずつ振り返ります。

 娘の結婚準備、妻への求婚、メキシコ革命、最愛の女とその死、妻とのすれ違い、
 富の獲得、地主との取引、敵軍の牢で出会った学士、九死に一生を得る・・・

 10~20ページの断章が集まってできているので、比較的読みやすいです。
 ただし、断章の語り口が次々に変わっていくので、最初は戸惑いました。

 1人称→2人称→3人称→1人称→2人称→3人称というように続いていきます。
 そして、この語り口の変化こそが、本作品を唯一無二のものとしている特徴です。

 1番目の断章は1人称の「わし」を使い、現在形で語られています。
 「わしは何々している」と語られ、死を目前にした男の内的独白となっています。

 2番目の断章は2人称の「お前」を使い、未来形で語られています。
 「お前は何々するだろう」と語られ、男の過去の行為を、予言的に表しています。

 3番目の断章は3人称の「彼」を使い、過去形で語られています。
 「彼は何々した」と語られ、男の人生を、神の視点から客観的に記しています。

 しかも、3人称の断章にだけ、冒頭に日付がきちんと記されています。
 まるで、この断章だけは正確に記した客観的事実なのだ、と言っているようです。

 これら「わし」「お前」「彼」は、すべてアルテミオ・クルスを指しています。
 アルテミオ・クルスのことが、さまざまな語り手によって、描かれているのです。

 では、語り手は誰なのか?
 矛盾するようですが、これまたすべて、アルテミオ・クルスのようなのです。

 「わし」と言ったときはもちろん、「お前」と呼びかけるときも、距離を置いて
 「彼」と語るときも、主体は同じアルテミオ・クルスのような気がするのです。

 「お前」と言うのは、混濁した意識から生じる、アルテミオの分身ではないのか?
 「彼」と言うのは、死後の世界から一生を振り返っている、自分ではないのか?

 さて、3人称の断章に記された日付は、時間軸にそっていません。
 それは、朦朧とした意識が、過去と現在を、あっちこっちに飛ぶからでしょう。

 この記憶の扱い方が、プルーストの「失われた時を求めて」に似ています。
 日付順にたどれば、分かりやすくなりますが、魅力は半減しそうです。

 ちなみに私は、1人称→2人称→3人称と続く3断章を、1セットと考えました。
 毎日3つの断章ずつ(1日約30ページ)読んだら、ちょうどよいペースでした。

 現在、ちょうど物語の半ばくらいまで読みました。
 読み慣れてくると、非常に面白いです。独特の語りに、ぐいぐい引き込まれます。

 特に引き込まれた部分は、若いころ革命軍に身を投じていたときのことです。
 強引にものにしたレヒーナを愛し、そして失ってしまう場面は、少し泣けました。

 所々で「レヒーナ」という呼びかけがあるたびに、読んでいて胸がうたれました。
 心にいつまでも存在する永遠のレヒーナ。しかし、それは誰にも明かせず・・・

 後半、ますます面白くなりそうです。このあとも物語から目が離せません。
 なお、フエンテス短編集が岩波文庫から出ていることを、今更ながら知りました。


フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇 (岩波文庫)

フエンテス短篇集 アウラ・純な魂 他四篇 (岩波文庫)

  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 1995/07/17
  • メディア: 文庫



 さいごに。(ムーTシャツは?)

 ファッションセンターしまむらでは、時々月間ムーとのコラボ商品を出しています。
 今年も「ムーTシャツ」は、出るのでしょうか? 出たら絶対手に入れたい。

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ: