読書のすすめ [読書・ライフスタイル]
「読書のすすめ」 岩波文庫編集部編 (岩波文庫)
小説家、詩人、哲学者、科学者、画家など、各界の第一人者による読書案内です。
執筆陣は、安野光雅、大岡信、大江健三郎、中野孝次など、錚々たる顔ぶれです。
「書物は、人類が生み出したもっともすばらしいものである。そこにはもっとも高貴
な人間精神が秘められ、すべての文化、学問、思想がもっとも純粋なかたちでそこに
凝縮されている。書物は、私たちがおかれている小さな世界を超えて、遠い過去にさ
かのぼり、広い世界に足をふみ入れることを可能にする。また人間の精神の奥深くま
で入って、人類がこれまで蓄積してきた膨大な知識、思想、技術を私たちの前に提示
する。」(P40・宇沢弘文の文章より)
初めて読んだとき(30歳前後の頃)、この文章を何度も何度も読み返しました。
まさに、本の魅力を簡潔に伝えた名文だと思いました。
特に「書物は、私たちがおかれている小さな世界を超えて・・・」の一文が良いです。
この文章は、鉛筆で傍線が引かれた上に、蛍光ペンで塗られていました!
「人類は文字を発明することによって、それまで自分の脳で記憶し言葉で伝承する
だけだった情報を、文字で記録して保存し、それを他人に伝達することを始めた。
文字の発明は、体の外に第二の脳を作ることになったのだ。(中略)人間は自分の
中で新しい情報を作り出す存在だが、同時に外部から、他人の脳が作り出した情報
を取り込んで常に自己変革をしている存在でもある。だから、文字を書き、読むと
いうのは、人間の基本的な生命活動なのである。」(P158・多田富雄の文章より)
この文章もまた、鉛筆で傍線が引かれた上に、蛍光ペンで塗られていました。
「書くこと」と「読むこと」の魅力を伝えてくれた名文だと思います。
さて、多読術の話は、中村真一郎の「わが読書」という文の中で述べられています。
成毛眞の「本は10冊同時に読め!」の元ネタ(?)が、ここにあります。
まず、メモ帳に次のような項目を立てます。
「宗教、思想、詩、小説、エッセー、戯曲、語学、社会科学、数学」などです。
毎週月曜日に、各項目それぞれに、日本の本と外国の本を書き込んでいきます。
たとえば「小説」なら「偽紫田舎源氏」と「虚栄の市」と言う具合です。
上の項目だと、9項目×2で18冊になります。これらを毎日並行して読むのです。
そして翌週の月曜日に、読み終わった本はリストから外し、新たな本を加えます。
そして、1930年代までに、人類の代表的な文化遺産はマスターするというのです。
自分たちの時代が来たら、この蓄積をもとに出発しようと。さすが、志が高い。
私も当時、真似しました。ただし五項目に絞り、日本と外国は分けませんでした。
たとえば、「哲学、科学、日本の古典、日本文学、外国文学」といった具合です。
実際当時の手帳には次のようなメモがありました。なかなか魅力的なリストです。
「ユング心理学入門」「コスモス」「万葉集」「それから」「夏への扉」
しかしすぐ諦めました。5冊同時に読むと、1冊10分ほどしかとれないからです。
ちっとも本が読み終わらず、いつまでもリストの本が入れ替わらなかったのです。
しかし、時間がある人にとっての読書法としては、とても面白いと思います。
私は定年退職後に、この方法で読書したいと考えています。
ほか、色川大吉の「敗戦前夜 『一日一冊』のころ」が興味深かったです。
色川は18歳で東大に繰り上げ入学した直後、学徒出陣となり入隊が決まりました。
戦争による死の気配が迫る中、一日一日の命を惜しむことに気が焦っていました。
そのとき「一日一冊本を読もう」と決めて、古典をかたっぱしから読み始め・・・
大岡信もまたこの本で、杉浦明平の「一日一冊読むルール」を紹介していました。
そして杉浦明平は、岩波新書の「私の読書法」で独特の読書法を披露しています。
それは、「毎月一万ページ」の読書の義務を自分に課す、というものでした。
毎日300ページ超ということになります。もちろん、誰もそんな真似はできません。
杉浦はまた、本を同時に四冊読む、ということをしていたと言います。
うち二冊はあらかじめ決めた本で、二冊は自由選択(翻訳と日本文学)だそうです。
岩波新書の「私の読書法」も、執筆陣は錚々たる顔ぶれです。
清水幾太郎、梅棹忠夫、中村光夫、田中美知太郎、開高健、円地文子などなどです。
さいごに。(2時間待ちで入れず)
先日の東京旅行で、スタバックス・リザーブ・ロースタリーに行きました。
いつも混んでいるとは聞いていました。しかし、まさか2時間待ちとは!
待っていたら、妻と娘との合流時間に間に合わなくなるので、諦めました。
まあ、いいです。地元にあるスタバで我慢します。
小説家、詩人、哲学者、科学者、画家など、各界の第一人者による読書案内です。
執筆陣は、安野光雅、大岡信、大江健三郎、中野孝次など、錚々たる顔ぶれです。
「書物は、人類が生み出したもっともすばらしいものである。そこにはもっとも高貴
な人間精神が秘められ、すべての文化、学問、思想がもっとも純粋なかたちでそこに
凝縮されている。書物は、私たちがおかれている小さな世界を超えて、遠い過去にさ
かのぼり、広い世界に足をふみ入れることを可能にする。また人間の精神の奥深くま
で入って、人類がこれまで蓄積してきた膨大な知識、思想、技術を私たちの前に提示
する。」(P40・宇沢弘文の文章より)
初めて読んだとき(30歳前後の頃)、この文章を何度も何度も読み返しました。
まさに、本の魅力を簡潔に伝えた名文だと思いました。
特に「書物は、私たちがおかれている小さな世界を超えて・・・」の一文が良いです。
この文章は、鉛筆で傍線が引かれた上に、蛍光ペンで塗られていました!
「人類は文字を発明することによって、それまで自分の脳で記憶し言葉で伝承する
だけだった情報を、文字で記録して保存し、それを他人に伝達することを始めた。
文字の発明は、体の外に第二の脳を作ることになったのだ。(中略)人間は自分の
中で新しい情報を作り出す存在だが、同時に外部から、他人の脳が作り出した情報
を取り込んで常に自己変革をしている存在でもある。だから、文字を書き、読むと
いうのは、人間の基本的な生命活動なのである。」(P158・多田富雄の文章より)
この文章もまた、鉛筆で傍線が引かれた上に、蛍光ペンで塗られていました。
「書くこと」と「読むこと」の魅力を伝えてくれた名文だと思います。
さて、多読術の話は、中村真一郎の「わが読書」という文の中で述べられています。
成毛眞の「本は10冊同時に読め!」の元ネタ(?)が、ここにあります。
まず、メモ帳に次のような項目を立てます。
「宗教、思想、詩、小説、エッセー、戯曲、語学、社会科学、数学」などです。
毎週月曜日に、各項目それぞれに、日本の本と外国の本を書き込んでいきます。
たとえば「小説」なら「偽紫田舎源氏」と「虚栄の市」と言う具合です。
上の項目だと、9項目×2で18冊になります。これらを毎日並行して読むのです。
そして翌週の月曜日に、読み終わった本はリストから外し、新たな本を加えます。
そして、1930年代までに、人類の代表的な文化遺産はマスターするというのです。
自分たちの時代が来たら、この蓄積をもとに出発しようと。さすが、志が高い。
私も当時、真似しました。ただし五項目に絞り、日本と外国は分けませんでした。
たとえば、「哲学、科学、日本の古典、日本文学、外国文学」といった具合です。
実際当時の手帳には次のようなメモがありました。なかなか魅力的なリストです。
「ユング心理学入門」「コスモス」「万葉集」「それから」「夏への扉」
しかしすぐ諦めました。5冊同時に読むと、1冊10分ほどしかとれないからです。
ちっとも本が読み終わらず、いつまでもリストの本が入れ替わらなかったのです。
しかし、時間がある人にとっての読書法としては、とても面白いと思います。
私は定年退職後に、この方法で読書したいと考えています。
ほか、色川大吉の「敗戦前夜 『一日一冊』のころ」が興味深かったです。
色川は18歳で東大に繰り上げ入学した直後、学徒出陣となり入隊が決まりました。
戦争による死の気配が迫る中、一日一日の命を惜しむことに気が焦っていました。
そのとき「一日一冊本を読もう」と決めて、古典をかたっぱしから読み始め・・・
大岡信もまたこの本で、杉浦明平の「一日一冊読むルール」を紹介していました。
そして杉浦明平は、岩波新書の「私の読書法」で独特の読書法を披露しています。
それは、「毎月一万ページ」の読書の義務を自分に課す、というものでした。
毎日300ページ超ということになります。もちろん、誰もそんな真似はできません。
杉浦はまた、本を同時に四冊読む、ということをしていたと言います。
うち二冊はあらかじめ決めた本で、二冊は自由選択(翻訳と日本文学)だそうです。
岩波新書の「私の読書法」も、執筆陣は錚々たる顔ぶれです。
清水幾太郎、梅棹忠夫、中村光夫、田中美知太郎、開高健、円地文子などなどです。
さいごに。(2時間待ちで入れず)
先日の東京旅行で、スタバックス・リザーブ・ロースタリーに行きました。
いつも混んでいるとは聞いていました。しかし、まさか2時間待ちとは!
待っていたら、妻と娘との合流時間に間に合わなくなるので、諦めました。
まあ、いいです。地元にあるスタバで我慢します。