ユリシーズ2 [20世紀イギリス文学]
「ユリシーズ Ⅰ」 ジェイムズ・ジョイス作 丸谷才一・永川玲二・高松雄一訳
(集英社文庫 ヘリテージシリーズ)
1904年6月16日のダブリンでの一日を、さまざまな文体を駆使して描いた小説です。
プルーストの「失われた時を求めて」と並んで、20世紀を代表する文学作品です。
すでに前回、紹介をしました。現在、ようやく第一巻を読み終わったところです。
「ユリシーズ1」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2022-05-28
相変わらずよく分からない小説です。読んでみても、内容が分からないのです。
それなのに、この作品には「なにかある」と感じさせるため、投げ出せません。
この物語の最大の特徴は、ホメロスの「オデュッセイア」と対応関係にある点です。
そもそも「ユリシーズ」とは、「オデュッセウス」のラテン語の英語読みなのです。
ではどのように対応しているかというと、オデュッセウスが主人公のブルームです。
息子のテレマコスがスティーヴンに、妻のペネロペイアが妻モリーになっています。
そして、オデュッセウスの10年間の漂流は、わずか1日の出来事となっています。
というわけなので、「オデュッセイア」を知っていないと、充分に味わえません。
トロイ戦争の勝利ののち、オデュッセウスが10年間漂流して帰郷できなかったこと、
息子テレマコスが父を探す旅に出て、最後には再会することは、最低限の知識です。
「ユリシーズ」の18の章のタイトルは、「オデュッセイア」から取られています。
そしてそれぞれの扉には、要約のほかご丁寧にも「神話的対応」の説明があります。
たとえば第1章の「テレマコス」では、「スティーヴンが『オデュッセイア』の
テレマコスに対応する。」とあるので、彼が主人公と再会することが分かります。
2章は「ネストル」、3章は「プロテウス」、4章は「カリュプソ」と続きます。
それぞれの語のイメージができないと、物語を真に味わうことができません。
そういう意味で「ユリシーズ」は、西洋以外では理解することが困難だと思います。
我々はまず、「オデュッセイア」を読んでから、「ユリシーズ」に向かうべきです。
「オデュッセイア1」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2016-05-14
「オデュッセイア2」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2016-05-17
さて、「オデュッセイア」と対応すると言ったものの、実はピンとこないのです。
オデュッセウスは主人公ブルームにあたりますが、まったく冴えない男だからです。
スティーヴンも同様。妻モリーに至っては、浮気女として描かれているのです。
そこに何かしら深い意味があるのでしょう。私には何が面白いのか分かりませんが。
「ユリシーズ」の第二の特徴は、「意識の流れ」という技法を使っている点です。
これは、会話文がカギかっこなしで、じゃんじゃん挿入されてくるというものです。
のちの作家は、大きな影響を受けたましたが、同時に多くの読者も失ったはずです。
この技法が、この作品を非常に読みにくくしています。
3章「プロテウス」でその技法が発揮されますが、ここで諦める人が多いのも事実。
まあ、テキトーに読み飛ばしてしまえばいいと、私は思うのですが。
さらに、この作品には、多くのダジャレや引用があると言います。
そのために150ページにわたる注釈があるのでしょうが、私は読む気になれません。
それをひとつひとつ読んで味わうのは、文学の鑑賞ではないような気がします。
思い切って言えば、それはただの「あそび」だと思うのです。
「ユリシーズ」は、ぎりぎりの地点で「あそび」から脱しているとは思います。
というのも、時として次のような、非常に心揺さぶられる言葉に出会えるからです。
「人間は死ぬまでずっと孤独に暮すことができる。そうとも、できるんだ。だけど
死んだあとでは誰かに土をかぶせてもらわなけりゃならない。墓穴は自分で掘って
置くとしても。」(P270)
ところで第Ⅰ巻を読むにあたって、私に大きな助力を与えてくれたものがあります。
それが、「演劇の結城」氏によるユーチューブ動画です。
この動画を見てから読んだので、なんとか読み続けることができました。
ただし、2022年5月現在、第6章までしかアップされていません。
非常に内容が濃いので、作るのが大変なのでしょう。
他人には真似できないすばらしい仕事です。続編を期待しています。
さいごに。(おのれ、ペイペイカードよ)
ペイペイを敬遠してきました。以前おこなったキャンペーンが、品が無かったので。
しかし、ヤフーカードが勝手にペイペイに切り替わり、勝手に送られてきたのです。
しかも、ペイペイカードになって、一部ネットでの支払いができなくなりました。
電話で聴こうとしたら、お金がかかるというし。どうしましょうか・・・
(集英社文庫 ヘリテージシリーズ)
1904年6月16日のダブリンでの一日を、さまざまな文体を駆使して描いた小説です。
プルーストの「失われた時を求めて」と並んで、20世紀を代表する文学作品です。
すでに前回、紹介をしました。現在、ようやく第一巻を読み終わったところです。
「ユリシーズ1」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2022-05-28
相変わらずよく分からない小説です。読んでみても、内容が分からないのです。
それなのに、この作品には「なにかある」と感じさせるため、投げ出せません。
この物語の最大の特徴は、ホメロスの「オデュッセイア」と対応関係にある点です。
そもそも「ユリシーズ」とは、「オデュッセウス」のラテン語の英語読みなのです。
ではどのように対応しているかというと、オデュッセウスが主人公のブルームです。
息子のテレマコスがスティーヴンに、妻のペネロペイアが妻モリーになっています。
そして、オデュッセウスの10年間の漂流は、わずか1日の出来事となっています。
というわけなので、「オデュッセイア」を知っていないと、充分に味わえません。
トロイ戦争の勝利ののち、オデュッセウスが10年間漂流して帰郷できなかったこと、
息子テレマコスが父を探す旅に出て、最後には再会することは、最低限の知識です。
「ユリシーズ」の18の章のタイトルは、「オデュッセイア」から取られています。
そしてそれぞれの扉には、要約のほかご丁寧にも「神話的対応」の説明があります。
たとえば第1章の「テレマコス」では、「スティーヴンが『オデュッセイア』の
テレマコスに対応する。」とあるので、彼が主人公と再会することが分かります。
2章は「ネストル」、3章は「プロテウス」、4章は「カリュプソ」と続きます。
それぞれの語のイメージができないと、物語を真に味わうことができません。
そういう意味で「ユリシーズ」は、西洋以外では理解することが困難だと思います。
我々はまず、「オデュッセイア」を読んでから、「ユリシーズ」に向かうべきです。
「オデュッセイア1」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2016-05-14
「オデュッセイア2」→ https://ike-pyon.blog.ss-blog.jp/2016-05-17
さて、「オデュッセイア」と対応すると言ったものの、実はピンとこないのです。
オデュッセウスは主人公ブルームにあたりますが、まったく冴えない男だからです。
スティーヴンも同様。妻モリーに至っては、浮気女として描かれているのです。
そこに何かしら深い意味があるのでしょう。私には何が面白いのか分かりませんが。
「ユリシーズ」の第二の特徴は、「意識の流れ」という技法を使っている点です。
これは、会話文がカギかっこなしで、じゃんじゃん挿入されてくるというものです。
のちの作家は、大きな影響を受けたましたが、同時に多くの読者も失ったはずです。
この技法が、この作品を非常に読みにくくしています。
3章「プロテウス」でその技法が発揮されますが、ここで諦める人が多いのも事実。
まあ、テキトーに読み飛ばしてしまえばいいと、私は思うのですが。
さらに、この作品には、多くのダジャレや引用があると言います。
そのために150ページにわたる注釈があるのでしょうが、私は読む気になれません。
それをひとつひとつ読んで味わうのは、文学の鑑賞ではないような気がします。
思い切って言えば、それはただの「あそび」だと思うのです。
「ユリシーズ」は、ぎりぎりの地点で「あそび」から脱しているとは思います。
というのも、時として次のような、非常に心揺さぶられる言葉に出会えるからです。
「人間は死ぬまでずっと孤独に暮すことができる。そうとも、できるんだ。だけど
死んだあとでは誰かに土をかぶせてもらわなけりゃならない。墓穴は自分で掘って
置くとしても。」(P270)
ところで第Ⅰ巻を読むにあたって、私に大きな助力を与えてくれたものがあります。
それが、「演劇の結城」氏によるユーチューブ動画です。
この動画を見てから読んだので、なんとか読み続けることができました。
ただし、2022年5月現在、第6章までしかアップされていません。
非常に内容が濃いので、作るのが大変なのでしょう。
他人には真似できないすばらしい仕事です。続編を期待しています。
さいごに。(おのれ、ペイペイカードよ)
ペイペイを敬遠してきました。以前おこなったキャンペーンが、品が無かったので。
しかし、ヤフーカードが勝手にペイペイに切り替わり、勝手に送られてきたのです。
しかも、ペイペイカードになって、一部ネットでの支払いができなくなりました。
電話で聴こうとしたら、お金がかかるというし。どうしましょうか・・・