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少女地獄(夢野久作) [日本の近代文学]

 「少女地獄」 夢野久作 (角川文庫)


 病的な嘘つき姫草ユリ子の悲劇を描いた「何でも無い」など、3編の短編集です。
 「ドグラ・マグラ」刊行の翌年、最晩年の1936年に出た書簡形式の短編小説集です。


少女地獄 (角川文庫)

少女地獄 (角川文庫)

  • 作者: 夢野 久作
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 1976/11/29
  • メディア: 文庫



 「少女地獄」は、「何でも無い」「殺人リレー」「火星の女」から成っています。
 「何でも無い」は、姫草ユリ子という女が自殺した、ということから始まります。

 昭和8年5月、姫草ユリ子と名乗る19歳の少女が、臼杵耳鼻科医院を訪れました。
 院長の臼杵は、ユリ子を看護婦として採用し、彼女のおかげで医院は繁盛しました。

 あるときユリ子は、以前白鷹先生のもとで働いていたと、臼杵に告げました。
 そして、そのころからユリ子の言葉に、ほころびが生じ始めたのです。

 白鷹先生と会う約束をしながらも、そのたびに相手の都合で会うことができず・・・
 ようやく会うことができましたが、白鷹先生の様子はどこかおかしくて・・・

 ユリ子の嘘を最初に見抜いたのは、臼杵の妻でした。さすが、女の勘は鋭いですね。
 しかし妻は、怒るどころか彼女に共感し、同情すらしています。

 「みんなあの娘の虚栄だと思うわ。そんな人の気持、あたし理解ると思うわ(中略)
 あの人は地道に行きたい行きたい。みんなに信用されていたいいたいと、思い詰めて
 いるのがあの娘の虚栄なんですからね。そのために虚構を吐くんですよ」(P47)

 自分が打ち立てた嘘の世界が壊されないよう、ユリ子はさらに大きな嘘をつきます。
 そうして自分を守るために、命がけで嘘をつくユリ子は、ある意味けなげでした。

 「如何なる悪党、または如何なる芸術家も及ばない天才的な、自由自在な、可憐な、
 同時に斃れて止まぬ意気組を以て、冷厳、酷烈な現実と闘い抜いて来たか。」(P92)

 ところで、タイトルの「何でも無い」とは、どういうことでしょうか。
 嘘で塗り固めた殻を外していくと、そこには「何にも無い」ということでしょうか。

 それがバレてしまったとき、ユリ子には死ぬという選択肢しか残っていませんでした。
 まさに、少女が地獄へ進んで落ちていくような物語でした。

 「火星の女」は、女学校の近くで、少女の焼死体が発見されるところから始まります。
 その後女学校の校長は発狂し、大坂で火星の女を探しているところを保護されました。

 校長のもとにはある手紙が来ていて、それが精神的なダメージとなっていたのです。
 差出人は「火星さん」というあだなの卒業生で、焼死体も彼女のものでした。

 事件に続いて、学校の女性教諭が自殺し、書記が大金を持って失踪し・・・
 さらに教育行政官まで辞任して・・・

 「私は、校長先生と御一緒に、腐敗、堕落しております現代の自分勝手な、利己主義
 一点張の男性の方々に、一つの頓服薬として「火星の女の黒焼」を一服ずつ差し上げ
 たいのです。」(P134)

 「火星の女」の手紙には何が書いてあったのか?
 「火星の女」は、いったいどんなことをしたのか?

 「私の心の底の底の空虚と、青空の向こうの向こうの空虚とは、全くおんなじ物だと
 言う事を次第次第に強く感じて来ました。そうして死ぬるなんて言う事は、何でもな
 い事のように思われて来るのでした。」(P142)

 あのような大胆な復習をさせたのは、空虚からくるマイナスエネルギーなのでしょう。
 表面のきれいごとと、裏面の汚らわしさ。まさに、校長は空虚の象徴的存在でした。

 「何でもない」も「火星の女」も、とても鮮烈な印象を残す作品でした。
 それに比べて、「殺人リレー」はページ数も少なく、やや見劣りがしました。

 「殺人リレー」は、バスの女車掌のもとに来た、何枚もの手紙で構成されています。
 新高という運転手は殺人者で、女車掌と次々と関係を持って殺していくというが・・・

 新高を警戒し、友の仇を取ろうとしながらも、なぜかトミ子は惹かれてしまいます。
 トミ子はいかにして仇を取ったのか? それを成し遂げたあとの、意外な展開とは?

 同時収録の「童貞」は、主人公がバカバカしくて面白かったです。
 自分を天才音楽家だと思っている青年は、肺病やみのため死に場所を求めています。

 「タッタ一人で大地に帰るべく姿を晦ましてしまった彼の唯一の誇り・・・世にも
 尊い・・・世にもみじめな童貞の誇り・・・」(P191)

 そして彼は、自分を殺すのは女でなければならぬ、と考えています。
 そこへやってきた美しい令嬢は・・・泣けるような、笑えるような、結末でした。

 さいごに。(日光に行かずして)

 「日光に行かずして結構と言うなかれ」と言われています日光、今回が初訪問です。
 妹が日光に住んでいるので、お盆休みを使って、家族で行ってきました。

 奥日光の、戦場ヶ原が良かったです。やっぱり、自然の中で歩くのは気持ちいい!
 写真を撮りまくりました。今度は秋の紅葉シーズンに来たいです。

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