賢者の石1(コリン・ウィルソン) [20世紀イギリス文学]
「賢者の石」 コリン・ウィルソン作 中村保男訳 (創元推理文庫)
意識を無限に拡大する能力を得た青年が、人類進化の謎の解明に挑むSF小説です。
主人公による仮説の説明が多く、小説というよりオカルト研究書のような作品です。
主人公の「私」は13歳のとき、45歳のライエル卿と出会って意気投合しました。
ライエル卿に見込まれた「私」は、彼の家に住み、一緒に様々な研究をしました。
12年後にライエルが死ぬと、遺産を得て、生涯を研究に捧げる環境が整いました。
ちょうどその頃、科学というものに対する「私」なりの考え方がまとまりました。
すべての科学は、人間を現在から引き離し、遠くから眺めさせる試みである、と。
現在から自由になるために、人間が求めているのは、拡大された意識である、と。
しかし、意識を拡大するためには、どうしたらよいのか?
そのヒントは、リトルウェイ卿と知り合い、一緒に研究するうちに手に入り・・・
文字が小さくて、途中難解な部分もあって、なかなか進みません。
時速30ページほどです。しかし、とても興味深い内容なので、全く飽きません。
特に、脳髄を損傷した青年ディックが登場した辺りから、急に面白くなりました。
ディックは脳髄損傷後、恍惚状態を続けていて、千里眼を手に入れたようで・・・
手術で、特殊な合金を大脳前頭葉部に入れて電極を流すと、恍惚状態となり・・・
レスターが手術を施すと、数千年先の未来を絶えず意識するようになって・・・
と、意識の拡大につながる場面は、「ムー民」的にとてもワクワクします。
「私」とリトルウェイが、人類進化の謎の究明を始めてからは、本が置けません。
拡大された意識で、ふたりはいったい何を見つけるのか?
人類の進化において、いったいどのような謎があったのか?
第Ⅰ部「絶対の探求」は、「私」が意識を拡大させるまでを描いています。
読みながら、ついつい作者コリン・ウィルソンと主人公を重ねてしまいました。
「人間には現実から離脱して意識が広がる瞬間があり、それを価値体験と呼ぶ。」
「価値体験においては、人間の意識の光線の幅が広がり、広大な空間を照らす。」
本作には、当時のコリン・ウィルソンの考えが、惜しげもなく盛り込まれています。
1971年刊の「オカルト」もまた、参照したい評論です。
さいごに。(2回食べた佐野ラーメン)
日光に行くとき、下りの佐野SAに寄って、朝食に佐野ラーメンを食べました。
日光から帰るとき、上りの佐野SAに寄って、夕食に佐野ラーメンを食べました。
ちじれた麺が、クセになります。スープもちょっと違います。
今度はSAではなく、佐野市街のお店で食べてみたいです。
意識を無限に拡大する能力を得た青年が、人類進化の謎の解明に挑むSF小説です。
主人公による仮説の説明が多く、小説というよりオカルト研究書のような作品です。
主人公の「私」は13歳のとき、45歳のライエル卿と出会って意気投合しました。
ライエル卿に見込まれた「私」は、彼の家に住み、一緒に様々な研究をしました。
12年後にライエルが死ぬと、遺産を得て、生涯を研究に捧げる環境が整いました。
ちょうどその頃、科学というものに対する「私」なりの考え方がまとまりました。
すべての科学は、人間を現在から引き離し、遠くから眺めさせる試みである、と。
現在から自由になるために、人間が求めているのは、拡大された意識である、と。
しかし、意識を拡大するためには、どうしたらよいのか?
そのヒントは、リトルウェイ卿と知り合い、一緒に研究するうちに手に入り・・・
文字が小さくて、途中難解な部分もあって、なかなか進みません。
時速30ページほどです。しかし、とても興味深い内容なので、全く飽きません。
特に、脳髄を損傷した青年ディックが登場した辺りから、急に面白くなりました。
ディックは脳髄損傷後、恍惚状態を続けていて、千里眼を手に入れたようで・・・
手術で、特殊な合金を大脳前頭葉部に入れて電極を流すと、恍惚状態となり・・・
レスターが手術を施すと、数千年先の未来を絶えず意識するようになって・・・
と、意識の拡大につながる場面は、「ムー民」的にとてもワクワクします。
「私」とリトルウェイが、人類進化の謎の究明を始めてからは、本が置けません。
拡大された意識で、ふたりはいったい何を見つけるのか?
人類の進化において、いったいどのような謎があったのか?
第Ⅰ部「絶対の探求」は、「私」が意識を拡大させるまでを描いています。
読みながら、ついつい作者コリン・ウィルソンと主人公を重ねてしまいました。
「人間には現実から離脱して意識が広がる瞬間があり、それを価値体験と呼ぶ。」
「価値体験においては、人間の意識の光線の幅が広がり、広大な空間を照らす。」
本作には、当時のコリン・ウィルソンの考えが、惜しげもなく盛り込まれています。
1971年刊の「オカルト」もまた、参照したい評論です。
さいごに。(2回食べた佐野ラーメン)
日光に行くとき、下りの佐野SAに寄って、朝食に佐野ラーメンを食べました。
日光から帰るとき、上りの佐野SAに寄って、夕食に佐野ラーメンを食べました。
ちじれた麺が、クセになります。スープもちょっと違います。
今度はSAではなく、佐野市街のお店で食べてみたいです。